卒業論文の研究対象地域は沖永良部島であった。「卒業論文の研究対象地域選定の前に奄美群島を巡ろう」という坂口彰君(鹿児島大学教育学部地理学教室)の提案があり,二人で奄美群島の島々を渡った。四年生(1972年)春のことであった。当時,照国郵船株式会社(現マリックスライン株式会社)と,大島運輸(現マルエーフェリー株式会社)が交互に運行していた汽船を利用して,奄美大島笠利半島,徳之島,沖永良部島,与論島と南下した。¶大島運輸に対する奄美群島民の評価は高かった。必ず船長と一等航海士が寄港先からの出航前後には,船底の二等船室まで挨拶に来ていたこともあり,僕ら学生も島民の思いを共有することができた。奄美群島と薩南諸島の間に連なるトカラ列島へは,教育学部の斉藤毅先生(地理教育)と塚田公彦先生(陸水学)が率いていた毎夏実施されるトカラ巡検で訪れていたので,坂口君からすると,更に南を知りたいということであった。当時,沖縄は米軍占領下にあった。¶四島を巡って,沖永良部島の風土と人が僕には一番合った。法文学部地理学教室の指導教授であった米谷静二先生が,沖永良部島でビーチロック研究の集大成を果たされたことに敬意を感じていたことも大きい。一年先輩の川口昇さんが自然地理学に関心が高く,その語らいも重要であった。backgroundカラー hexadecimal #dbebf5

 卒業論文の調査には新たに就航した(照国郵船株式会社,1972年7月就航 鹿児島 – 奄美大島 – 与論航路をフェリー化,旅客重視構造の初代)クイーンコーラルに乗ることができた。¶卒業論文以降,退職前まで放置してきた琉球石灰岩からなるストームベンチ地形の成因がいわば懐古的に気になって,川口さんのご理解を得て,2018年春以来,3回,沖永良部島で調査してきた。なお,ストームベンチというのはトップページのスライドショーで示した地形である。春の大潮の干潮時から満潮時に渡ってタイムラプス撮影を実施したが,その最干潮と最満潮の2コマを示している。
 2020年春には関西大学卒業生の別所秀高氏もドローンを飛ばしに来てくれた。この春は,川口さんについてはコロナを恐れて急遽参加中止とはなったが,今後も川口さんとは調査研究を続けたい。研究成果は三人連名で英文誌に投稿し公開する予定であるが,関連資料や成果について,このサイトでは英語でも発信して行きたいと考えている。下の文献はこの文章に関連した卒業論文に直接関わるものだけを掲載している。
 なお,地理教育の資料として,僕が36年の間に作成した入試問題などもここで公開する。きっと,生徒や先生が自然地理を理解する上で有効だと思っている。
 木庭の論文リストも別途,掲載する。(May 16, 2020記)

関連文献
 米谷静二, 1966. ピーチロックとその類似地形. 地理学評論 vol. 39, no. 4, pp. 240-250.
 斉藤毅,川口 昇,木庭元晴, 1971. 口之島および中之島における隆起サンゴ礁について. 鹿児島地理学会紀要,vol. 19,no. 2, pp. 29-37.
 木庭元晴, 1972. 沖永良部島の海岸地形. 鹿児島地理学会1972年度学術大会(1972年12月2日,鹿児島市),鹿児島地理学会紀要,vol. 20, p.159.
 木庭元晴, 1974. 沖永良部島の海岸地形と沖積世高位海水準. 東北地理(現季刊地理), vol. 26, pp.37-44.