はじめに
霊界物語は難しい。その文脈や王仁三郎の意図を把えることが難しい。それを如実に示す具体例と出会ったので,このページを作成することにした。この具体例を通じて,『霊界物語』の読み方を捉えるためである。その具体例とは次の文献である。
窪田高明,2015. 『霊界物語』における台湾. 神田外国語大学日本研究所紀要 The Bulletin of the Research Institute for Japanese Studies, Kanda University of International Studies,Vol. 7, pp. 1-28.
https://kuis.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1305&file_id=18&file_no=1
この報告冒頭の「梗概」を次にそのまま引用する。
引用始め——————
この論文が主たる対象とするのは,『霊界物語』第二十八巻,すなわち「海洋万里」「卯の巻」の第一から第三である。目的は,『霊界物語』全体の内容,またその著者,出口王仁三郎の思想を理解するために重要なものと考えられる論点を取り出すことである。そのために次のような順序で論述を進める。まず,『霊界物語』について最低限の説明を行なう。ついで,大本神話における台湾の意味,第二十八巻の具体的な内容について検討する。また大本の台湾布教などを参照し,第二十八巻における台湾記述の特質を理解する。最後に,以上の考察をふまえ,出口王仁三郎の思想全体を考察するために有効な論点を検討する。
引用終わり————————————————
この梗概内容と報告タイトルは,不一致と言わざるを得ない。付記には,「本稿は、平成二十四年度佐野学園研究助成制度の在外研究(実施は平成二十五年度)による研究成果の一部である」,とある。一年間,台湾に滞在した成果品の一つとして作成された。その関係でタイトルが故意に変質されたのであろうが,「出口王仁三郎の思想: 主に台湾を取り扱った『霊界物語』第二十八巻から」,などとすべきものである。失礼ながら,台湾に滞在することなく書けるものではある。本人もご承知のことであろうが。
窪田がこの報告で示した王仁三郎や霊界物語に対する感想は,窪田が参照した情報源や研究姿勢から出るものとして,致し方ないものだと感じた。当方が知らない情報,特に平田篤胤の世界観,も記されていて勉強にはなった。原典訳を読む必要性を感じた。島崎藤村の『夜明け前』を読んでいる時に平田神道を学ぶ必要性を感じていた。そこで代表作を読むべく「霊の真柱 (岩波文庫)」キンドル版を今,注文した。
霊の真柱 (岩波文庫) (日本語) 文庫 – 1998/11/16 平田 篤胤 (著), 子安 宣邦
ところが,キンドル版は読み下し文だけの100頁のもので,「1998/11/16 平田 篤胤 (著), 子安 宣邦, 226p.」とされた書籍そのものとは異なっていた。書籍そのものを購入する必要がありそうだが,王仁三郎の世界観に近い図なども入っていて,解説も不要かと思うので,読みはじめたいとは思っている。
窪田の王仁三郎と霊界物語に対する感想を第3章に挙げてゆく。この感想は通常の読書態度,さらには研究態度で『霊界物語』などに接した場合の,「正常」な反応だろうと思う。人は時代の子であり,学校教育,大学教育,学会など,小さく歪んだ世界で完結しているので,自らの感想が,「正しい」,と思ってしまう。ぼくも,研究者として多少は他より抜きんでているとは思っているが,窪田の感想に,さもありなん,と思ったところがあった。
おそらく,この窪田の感想は,王仁三郎を神とする父木庭次守のような人々からすると,受け入れがたいもの,または経験的に信仰が無い者のよくある反応,と感じることであろう。僕は,人間として信頼しうる父を通じて,王仁三郎を見ている。王仁三郎が何者か,ぼくには未だわからない。しかし,切って捨てることはできない。その点が窪田とぼくの大きな違いであろう。
本サイトの次の「霊界物語三神系時代別活動表」のページに示したように,王仁三郎が予言者であることは確定した,と思っている。窪田の関心の一つである台湾を,「大日本帝国が喪失する」予言を示すべく,まずは次の第1章を設けた。『霊界物語』中の予言の形の多様性の観点から,第2章も用意した。そして,改めて第二十八巻を読み直した。朗読すべきなのだがその元気がない。
1 大日本帝国の台湾喪失の予言
木庭次守が実質編集した『霊界物語資料篇』(1971刊)は一般には手に入らないので,次の文献の参照位置を示す。『霊界物語資料篇』との間のに違いがないことも確認している。
木庭次守編,木庭元晴監修,2010. 『霊界物語ガイドブック』(434p. + 霊界物語小辞典154p.) 八幡書店.[国立国会図書館データベース図書]
このpp. 247-251には,『霊界物語』第51巻(真善美愛, 寅の巻)の要約などが記されている。この梗概の(10)を次に引用する。
引用始め———————
(10) 怪志(あやし)の森に置き去りをくった初と徳は,高姫と妖玄坊の下馬評をこころみ,ついには二人を退治する打ち合わせをする。この初と徳の対談の中に,日本外交の腰ぬけ加減と無責任さが示されている。指導層が「満鉄で逸早く逃げ帰る」ことや「一つよりない大椀(台湾)まで逃げ出す」など,大正十二年一月二十七日に,昭和20年前後のことまでが確言されている。全く神眼による達観には驚嘆の外はない。
引用終わり————————————————
王仁三郎が「指導層の腰抜け」について酷評しているのは,侵略地を失うことを憂えているのではなくて,エラそうにしている日本の権力者の側に立つ人々の不甲斐なさを笑っているのである。
この部分は,この巻の第十六章「暗闘」に当たっている。飯塚弘明さんのサイトのリンクを次にしめす。そして該当部分のコピペを掲載する。直接関連する部分については,太字で示している。
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm5116
引用始め——————
075徳『ウーン、俺もまだ半眠半醒状態で、トツクリ寝られないワ。何だか胸がドキドキして仕方がない。モシ高姫さま、杢助さま、チツと起きて下さいな、ああ首筋元がゾクゾクとして来ました。あああ、返辞をして下さらぬぞ、ヤツパリ御両人さまも草臥れて寝て厶ると見えるな、夜逃同様に撤兵して来たのだから、草臥れるのも無理はないワイ。何せよ高姫さまの外交がなつてゐないものだから、こんなヘマを見るのだよ。グヅグヅしてると、ここらあたりにバルチザンが襲来するかも知れないよ。其日暮しの日傭ひ外交だからなア。吾々国民は枕を高うして寝られないワ。どう考へても真から寝つかれないからなア』
095『どうやら、高姫さまは杢助と、吾々雑兵を放つたらかして、満鉄で逸早く逃帰つたらしいぞ。併し幽霊内閣の立去つた後は、何が出るか知れたものぢやないワ。どうしてもコリヤ吾々国民が腹帯を締め、国民外交をやる気でないと、当局者に任しておいても、肝腎の時になつたら逃げられて了ふからなア』
105『さうだなア、一体何処まで逃げたのだらう』
107『逃げるのに、定つた場所があるかい。其時の御都合主義だ。敵が遠く追つかければ遠く逃げるだけのものだ。今日の国際的外交は、朝に一城を譲り夕に一塁を与へて、十万億土のドン底まで譲歩するのだからなア。それが所謂宋襄仁者の唯一の武器だ、最善の方法だ。弱い者には何処までも追つかけて行く程利益だが、強い奴には逃げるのが最も賢明な行方だ。併し斯う淋しくつては仕方がないぢやないか。オイ、一つ歌でも歌つて気をまぎらさうぢやないか。……折角文助のドタマを擲り倒して、ウマウマとブンブン玉をひつたくり、此処まで持つて来て杢助さまに渡し、喜んでは貰つたが、余り八百長芝居がすぎて、足腰が立たぬ程打ちのめされ、動きのとれぬ所を見すまして、此暗がりに置去りするとは、誠に残酷ぢやないか。これでは吾々下人民は、やりきれない。どうしたらよからうかなア』
133『小鳥つきて鷹喰はれ、兎つきて良狗煮らるとは俺たちの事だ。あれだけ吾々が血を流してやつと奪つた曲輪の玉を、又強者に掠奪されて了ふと云ふのは、ヤツパリ未来の何処かの外交手腕が映つてゐるのだよ。手腕のワンは犬の鳴き声だが、本当に尾を股へはさんで、シヨゲ シヨゲと逃げ帰る喪家の犬のやうな手腕だからな。しまひには、只一つよりない大椀(台湾)まで逃出すかも知れぬぞ。何程琉球そに言うても、骨のない蒟蒻腰では駄目だ。貴様だつて俺だつて、半身不随だから、腹中の副守、ガラクタ連中には、うまく誤魔化しておいて、兎も角、自分の身体回復を待たねばなるまいぞ。何程人の為だの、刻下の急務だのといつた所で、ドドのつまりは、自分が大切だからな、ハハハハハ』
引用終わり————————————————
この文は,出口王仁三郎が,大正12年1月25日〜27日に口述筆記したもので,初版は大正13年12月29日である。この時に,台湾や琉球が米軍の統治下になることが示されていたのである。太平洋戦争の開戦も敗戦も知っていたことになるのである。
この種の予言は,今読めば,明らかであるが,当時の『霊界物語』の読者には,これが太平洋戦争敗戦の予言であることを見抜くことは,不可能であろう。とは言っても,今から読むと直接的に理解できる。
王仁三郎の予言はこのように直接的に理解できるものと,すでに,霊界物語三神系時代別活動表,で論証したようにかなり大がかりの謎かけのようなものもある。いずれの予言も,実際に生じてからでないと,その意味を理解することは難しい。
『霊界物語』に記された予言は,「実際に生じてからでないと,その意味を理解することは難しい」。そういう予言の役割は何か。その一つは,王仁三郎が予言者であることを示すため,ということになる。予言者であることを受け入れざるを得ない。次に,王仁三郎は主神である,と理解を進めるには,さらに研鑽が必要となる。予言者であることを受け入れることと,主神であることを受け入れることには,大きな懸隔がある。
予言が,このように隠されてきた理由は,次のエピソードでわかる。
2 関東大震災の予言
下記p.246に,「東京の大震災の予言」(木の花,昭和25年11月12月合併号)が再録されている。月光記とあって,側近の筧清澄の如是我聞である。これは,霊界物語資料編p. 592にも再掲されていた。
木庭次守編,1954.『霊界物語の大精神』 木庭次守自費出版,邦文タイプ: 鈴木倶子,256p.[国立国会図書館データベース図書]
引用始まり—————
大正十二年の春のことである。筆者が教主殿で勉強していると,聖師がお出かけ下され,
聖師「今に東京に大震災がある」
問「どうしてですか」
聖師「この長雨の降っているのがいけない」
問「霊界物語に示されてありますか」
聖師「ある」
聖師「エトナの爆発と書いて示してある」
問「どうしてそれが東京になるのでしょう」
聖師「先に東京は元のすすき野になると書いて発表したが,発売禁止になった。それで今度は,発売禁止にならぬよう,然も,よくわかるように,エトナの爆発と書いて知らせた。エトは江戸,ナは万葉仮名で地の意味である。すなわち江戸の地だ。今の東京のことである」
問「そうですか。それは時期はいつ頃でしょう」
聖師「今秋だ。初めが危ない」
その後,筆者が島根県安来地方へ宣伝の旅を終わり,かつて,右の警告を宣伝しておいた,島根県米子市糀町藤田氏宅へ帰った時、九月一日正午、東京震災の震動を感じたのであった。
引用終わり————————————————
筧の「どうしてですか」という問いに,王仁三郎は「この長雨の降っているのがいけない」と説明したが,もちろん,王仁三郎はそんなことは思っていない。予言者王仁三郎に問いかけるには,筧のいかにもとんちんかんな「どうしてですか」への答えとしては,巷で言い古されている「この長雨の降っているのがいけない」で,応えたのである。大正関東地震は,相模湾北部を震源として1923年(大正12)9月1日11時58分に発生した海溝型巨大地震である。
王仁三郎は,発売禁止などの経験を通じて,(神の)予言の要請に応えつつ,隠す方向に進んでいる。経験が『霊界物語』に反映している。その経験に基づく発表方針の修正があっても,予言はそれを組み込んだ形で実現してゆく。
この『霊界物語』の該当個所は,次の部分だと思われる。霊界物語第2巻第9章「タコマ山の祭典その一」である。飯塚弘明のサイトをリンクする。
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0209
ここから関連部分を引用すると,
引用始め——————
047小雀やささのかげにて踊り出し
048 このとき速虎彦、速虎姫、唐玉彦、島田彦は威儀を正し、言霊別命に拝謁を請ふた。さらに美しき神殿に招待し、山野河海の珍味を出して命を饗応せむことを宮比彦を通じて請ふた。ここに言霊別命は何心なくその殿内に入り、四方山の話に打ち耽り、かつ速虎彦らの好意を感謝し、心地よげに一間に入りて休息してをられた。たちまち天の一方に黒煙がたちのぼつた。爆然たる大音響につれて、みるみる一大火柱は天に冲し、岩石の雨を降らし、実に壮観をきはめた。これぞエトナの大火山が爆発したはじまりである。
065言霊別命はその光景に見惚れてゐられる。その隙をうかがひ速虎彦、唐玉彦は器に毒薬を投げ入れ、素知らぬ顔をしてゐた。
069『まづ一服召し喫られよ』
070と、毒薬の入りたる器に湯をそそぎ言霊別命に奉献つた。命は何の気もなく、ただ一口飲まむとする折しも、息せき切つて走りよつたる時野姫はその湯を奪ひ、ただちに自分の口に飲みほした。時野姫はたちまち顔色蒼白となり、七転八倒して苦悶しはじめ、黒血を多量に吐きその場に打ち倒れた。言霊別命も小量ながら口に入りし毒薬の湯に中てられ、言葉を発すること能はず、ただちにその場を逃れ出むと早々に座を立ちかけた。速虎彦以下の三柱は謀計の暴露せむことを惧れて、言霊別命を捕へ隠さむとし、命の跡を追つかけた。
085火を出して毒湯すすめる曲津神
引用終わり————————————————
関東大震災後でさえ,この部分を読んでも,わからない。筧の証言故にわかるだけである。掲載の場所が,第「九」章,その「一」,であり,関東大震災の日の(大正12年)9月1日と重なるとも言えそうだが。この数字合わせは,『霊界物語』にはよくあることである。なお,この『霊界物語』第2巻,霊主体従丑の巻の初版発行日は,大正11年1月27日である。
第一次大本事件と第二次大本事件の間の,官憲監視,検閲のもとでの出版には限界があるということではある。ちなみに,この毒殺未遂の場面は,関東大震災だけでなく,より重大な予言を示したもののように思う。太平洋戦争後半の東京大空襲の予言とも重なっているように思われるのである。「東京は元のすすき野になる」は,大正関東地震,米軍によってくり返された東京大空襲,そして近々到来する直下型地震「東京湾北部地震」とも繋がる。くり返されるのである。
この言霊別毒殺未遂事件は,悪狐「高虎姫」= 偽名「国照姫」の探女(さぐめ)「田野姫」などによって仕組まれたものである。その毒殺事件がたまたま自然現象のタコマ山の大爆発と時を同じくした。これは自然災害を利用して,悪魔が巧むことが示されていると思う。次の記事を引用する。
関東大震災と朝鮮人虐殺(2017年09月02日 朝刊)
https://www.asahi.com/topics/word/%E8%87%AA%E8%AD%A6%E5%9B%A3.html
「朝鮮人が略奪や放火をした」「井戸に毒を入れた」などの流言が広まり、住民らが結成した「自警団」が朝鮮人らを殺害する事件が多発した。政府の中央防災会議が2009年までにまとめた報告書では「虐殺という表現が妥当する例が多かった。対象は朝鮮人が最も多かったが、中国人、内地人(日本人)も被害にあった」と書かれている。犠牲者数は震災の全死者のうち「1〜数%」と推定。千〜数千人にあたる。地震直後の在日朝鮮人らの調査では「約6600人」などとする数字もある。
この「井戸に毒を入れた」という流言は,言霊別毒殺未遂事件とは直接つながらないが,このような民衆や権力のもとで,第二次大本事件の根拠となる治安維持法が普通選挙法と抱き合わせで1925(大正14)年に成立する。おそらく,『霊界物語』の他の場面との繋がりで想定できるものではあるかとは思っている。
3 窪田高明の王仁三郎と霊界物語に対する感想
この章では,窪田高明が指摘したことで,ぼくが関心を持ったことを列記したいと思う。
第1章:大本教と『霊界物語』
a. 第一次弾圧の裁判の結果,この種の文章(出口なおと王仁三郎の神の声を聞いてそれを書き記す筆先または神諭的表現)を使って信仰を表現することができなくなったので,この様な事態に対処するべく新しい宗教表現が求められて『霊界物語』が生まれたと言われている。
コメント: ぼくは知らなかった。出典が示されていない。この情報を確認する過程で,『霊界物語』についてより理解できるようになった。次のページに展開している。
「神諭的表現が使えなくなったので,新しい宗教表現が求められて『霊界物語』が生まれた」ということについては,窪田は,第一次大本事件下,権力によって書かされた「大本教改良の意見」に拠っていると考えていいだろう。大本七十年史上巻pp. 591-595にその経緯などが記されている。窪田の書き方では,この文献を直接見ていないようである。
第2章:『霊界物語』の成立と特徴
b. 途中からひとまとまりを引用する。繰り返しの部分も多く,文脈を知るにはこの引用法がいいかと思われる。
引用始め——————
ここまでくると、量自体が一つの問題になるのかもしれない(大宅壮一)。しかし、量とともに問題なのは、『霊界物語』が明確な構成をもっていないことである。物語全体が統一的な構成で編集されているわけではないし、そうした不統一は多くの巻の内部においても見ることができる。普通の物語であれば、全体の構成を説明し、それによって作られる物語の粗筋、あるいは口述者が物語に託した意図、主張といったものを記述することができるだろう。ところが『霊界物語』では、そのような方法は到底使えそうもないのである。
『霊界物語』の大部分を占めるのは、王仁三郎が一八九八年(明治三十一)に高熊山で修行をした際に瞑想の中で見た、霊界におけるさまざまな出来事なのである。ところが、その出来事、およびその記述である物語は、因果の連鎖による展開をもっているわけではない。場面や登場人物が大きく変化するため、一つの筋書きでまとめることは不可能なのである。霊界の出来事なので、登場するのはすべて神ということになっている。たびたび出現するのは、神々が「神宝の玉」を求めて争うという話である。この「神宝の玉」について、飯塚弘明は七組の玉をめぐる争いがあると記述している。ところが、神々が玉を求めて、さまざまな争いを繰り広げるにもかかわらず、この玉を獲得することで、何か決定的なことが起こるわけではない。
引用終わり————————————————
この読後感想はわからないでもない。二十歳前後の木庭次守によって第二次大本事件の裁判資料として作成,そして弁護団によって使用された,上掲の霊界物語三神系時代別活動表に,七十二巻の全体像がまとめられている。この枠組みを把握するには,読者に多大の記憶力と理解力とそして深い信仰が必要とされる。ぼくもこの資料をじっくりと読み込み整理することでほぼ全体像を知ることができた。『霊界物語』は小説ではないし,単にドキュメンタリーでもない。いわば歴史書であり,教えの書でもある。そして『霊界物語』の世界は今も未来も継続している。種々の予言が組み込まれている。ぼくの『霊界物語』の読み方を,上掲の霊界物語三神系時代別活動表のページに記しているので参考にして欲しい。「この玉を獲得することで、何か決定的なことが起こるわけではない」としているが,読み込みが足りないだけである。父から玉は国のことと教わった。国と言っても王一人が統治する地理的範囲ではなく,新たな神国を生み出す力である。『霊界物語』では玉は大いに活躍している。窪田高明は『霊界物語』全巻を一気に読む必要があるだろう。
第3章:『霊界物語』要約の試み
c. ここでは,『霊界物語資料篇』(1971)(上記の『霊界物語ガイドブック』とほぼ同様)中の木庭次守の梗概について,評価しながらも疑問が呈されている。そして,「木庭は,『梗概』を『霊界物語』から独立して読めるものとして作るつもりはなかったのではないか。むしろ,木庭が読んでほしいのは『霊界物語』そのものであり,『梗概』はその際に,折に触れ参照するためのものでしかなかった,と考えるべきであろう。『梗概』が独立して読めるとすれば,それは『霊界物語』の否定につながるからである」などとしている。
ぼくも同意見である。父の取捨選択の構造を知りたいと思いつつ,その作業を怠っている。
第4章:『霊界物語』第二十八巻の位置
この章の最後の部分を引用する。
引用始め—————
『海洋万里』がこの『胞衣』の考え方を背景にしていることは確かで、最初の三巻はオーストラリアに関連があり、ついで第二十八巻が台湾、さらに第二十八巻四篇以降が南アメリカを舞台としている。台湾と南米は、『胞衣』の考え方から選ばれているように思える。しかし、オーストラリアが特別の関係があるようには思えない。むしろ、『海洋万里』という物語の設定に従って、海で結ばれた場所が使われているということしか、理解できない。『胞衣』とその拡大版である二つの地域で類似性のある物語が語られているわけではない。むしろ、地域の関連以外に相互に関係がなく、読者を苦しめる『霊界物語』のストーリー展開の奔放さは、ここでも遺憾なく発揮されている。
引用終わり————————————————
ぼくの今のレベルでは,同意見である。これを追求する意味があるのかもわからない。台湾の喪失と型について。
第5章:『霊界物語』第二十八巻の前史部分
この章では,かなりの部分を引用する。
引用 a はじめ ——————
『霊界物語』で台湾について語られるのは、第二十八巻が最初ではない。第二十八巻の物語の前史ともいうべき内容は、第三巻「霊主体従」寅の巻で記述されている。『霊界物語』全体の展開、構成を見極めることは難しいのだが、一方では全体の関連がまったく無視されているわけではなく、思いがけない部分が関連を持っているのである。
引用 a 終わり ————————————————
引用 b はじめ —————
日天使国治立命が十二の玉を世界各所に配置し、「国魂の神」とした。台湾の場合、新高
山(現在の台湾の最高峰玉山のこと)には青色の玉を鎮めて、高国別、高国姫をその守護とした。さらに八王を主権者として配置して、新高山には花森彦を配した。「八王八頭」の体制である。
引用 b 終わり ————————————————
この部分は,霊界物語 > 第3巻 > 第1篇 国魂の配置 > 第2章 八王神の守護
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0302
引用 c はじめ —————
新高山は花森彦が天使となり、高国別、高国姫が治めていたが、高国姫の侍者玉手姫は悪の一味であり、二人に取り入り、寵愛される。天使花森彦は、玉手姫が悪であることを二人に告げるが、二人は納得せず、高国姫は憤慨のあまり「上天」してしまう。
ここで、花森彦と高国別は対立し、高国別は玉手姫と再婚する。『霊界物語』では一夫一婦が「天地律法の精神」とされており、再婚も容易には肯定されない。したがって、この再婚という行為が玉手姫の悪の一つとされる。高国別は天使長「大八洲彦」に花森彦の不当を訴えるが、大八洲彦の使いである言霊別命に高国別の天則違反を指摘される。しかし、高国別が納得しないので、青色の玉を取り出して、その光で玉手姫を照らすと、玉手姫は悪孤としての正体を現し、西天へ飛び去る。これによって高国別も玉手姫の悪なることを知る。だが、高国別は罪を問われないこととなり、その地位を維持する。これで事件は決着する。ところが、章末には次のように記述されている。悪の中心である常世姫一派の力は高国別をおとしいれ、その地位を蒙古別に代わらせ、高砂島は常世姫の勢力が支配するところとなる。天使花森彦は新高山の西南方に押し込められてしまった。「されど花森彦の至粋至純の霊魂は永く本嶋にとどまり、青色の玉とともにこの島に永久に隠されにける。花森彦の子孫も今に儼存して勇猛義烈の神民となり、神の御魂を維持しつつ弥勒神政の出現を鶴首して霊を研きて待ちおれりといふ」。
こうした出来事を知っておけば、第二十八巻の物語のはじめの部分は理解しやすくなる。
引用 c 終わり ————————————————
霊界物語 > 第3巻 > 第2篇 新高山 > 第3章 渓間の悲劇
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0303
霊界物語 > 第3巻 > 第2篇 新高山 > 第4章 鶴の首
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0304
国治立命は十二の玉を鎮め、八頭の国魂を任命し、つぎに八王の神を配置したまひぬとあり,台湾については,新高山に花森彦をして主権を握らしめ,青色の玉を鎮め、高国別、高国姫の二神をして、これを永遠に守らしめた,とある。八王は花森彦,八頭は高国別,高国姫,で,国治立尊が決めたこの順序は絶対で,八頭神は八王に背くことはできない。八王は八頭神よりもより国治立尊の思いを理解することができるのである。物語には,
言霊別命は,『高国別にしてなほ迷夢を醒さざれば是非なし』といひつつ神殿より青色の玉を取りだし、玉手姫の面上を射照したまへば、今まで玉を欺く姫の姿はたちまち悪狐と変じ、雲を翔りて空中高く西天に姿を隠しける
とあり,目の前の種々の出来事,つまりこの場合は常世姫の間者である玉手姫とその眷属に惑わされてはならないが,それを八頭神では看破できなかったことを,ここで示している。国治立尊の人事は絶対であること,十二の玉を駆使できるのは,言霊別つまり素戔嗚尊の分霊といったより高位の神々でなければならない,ということも示している。悪魔の仕業は,八頭レベルでは看破できないのである。
厳瑞二霊の決めたことを,後の人間が勝手に変更することはできない,ということをも意味している。変更することはできないと言っても,それを歪める悪魔の仕業があって,それにはやがて青色の玉が使われるのである。
窪田は,引用c中で,「再婚という行為が玉手姫の悪の一つとされる」,としているが,物語ではそうは言っていない。高国別に対して,八王の許可なしに再婚したことが責められている。
さらに,窪田は,引用c中で,「高国別は罪を問われないこととなり、その地位を維持する。これで事件は決着する。ところが、章末には次のように記述されている。悪の中心である常世姫一派の力は高国別をおとしいれ、その地位を蒙古別に代わらせ、高砂島は常世姫の勢力が支配するところとなる。天使花森彦は新高山の西南方に押し込められてしまった」,と言う。窪田には,決着した筈なのにどうして,という思いがある。通常の小説を読む態度では,こういった記述に,ついて行けない。王仁三郎は歴史を示すのであるが,有為転変があって,残された日が不足しており,細かく描くことができない。教えを中心として歴史を取捨選択している訳である。高国別は,青色の玉で現れた真実に遇っても迷い癖があって,結局,常世姫一派に陥れられ,その巻き添えを食って八王の花森彦までも押し込められたということになる。
窪田の引用c中の引用,「されど花森彦の至粋至純の霊魂は永く本嶋にとどまり、青色の玉とともにこの島に永久に隠されにける。花森彦の子孫も今に儼存して勇猛義烈の神民となり、神の御魂を維持しつつ弥勒神政の出現を鶴首して霊を研きて待ちおれりといふ」,というのが,いわば,第二十八巻に引き継がれると考えている。
窪田の記述姿勢から離れて,「花森彦の子孫も今に儼存して勇猛義烈の神民となり」という部分であるが,この中の「今に儼存して」というのが,第二十八巻に引き継がれるとすると,第二十八巻の台湾の内容は,王仁三郎口述時よりも未来を意味するものかもしれない。日本が中米との戦いに負けて,台湾は中華民国となって,米軍が撤退して,中華人民共和国に組み込まれるプロセスにあるが,その過程での予言にあたるものかも知れない。
とはいえ,この第5章では,『霊界物語』のストーリー展開に対する窪田の煮え切らない感情が見えている。
第6章:『霊界物語』第二十八巻の内容
このWebページの読者は,この第二十八巻の始めから第十八章までを,次のリンクに入って,できれば読んで欲しいと思う。
霊界物語 > 第28巻
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm28
窪田のこの第6章では,木庭次守と佐依彦 http://uro.sblog.jp/の引用がかなりの分量を占める。
窪田の第6章のはじめを次に引用する。
引用始め———————
先に『霊界物語』の内容を要約したものとして、木庭次守が作成した「霊界物語梗概」があることを紹介した。ここでは、その第二十八巻の記述に従って、その内容を記述する。ただし、木庭の文章自体かなりの分量があるので、だいたいの区切りは木庭の施した節立てを残しつつ、さらにそれを要約する。
引用終わり————————————————
とあるが,とてもここでは引用できない。木庭次守と佐依彦の梗概引用後に,次のような窪田の感想がある。
引用 d 始め ———————
(第1段落) 「梗概」の後に、木庭は各巻でその特徴を記述しているが、この巻では以下のようなものである。「三十五万年前の台湾島が神徳によって平和に治められた経緯をのべ、真道彦命は精神界の救世主であることを示されている」。だが、この「平和」は永久のものでもなければ、他の地域へ広がっていくものでもない。ある地域のある時点での出来事でしかない。『霊界物語』では、正しい信仰が勝利しても、それは人々の心の緩みとともに、ふたたび混乱に陥っていく話がたびたび登場する。また、三十五万年前に台湾で成立した理想状態が、その後続いているわけではないことは、だれにも明らかである。ここでも、物語は現実との直接的な対応させることはできず、一つの想像上の空間として相対的に独立する。
(第2段落) 上記の「梗概」、正確には「梗概」の要約を読んで、第二十八巻の内容が理解できるのだろうか。筆者自身は、第二十八巻を何度か読んでいる。だが、自分ではその内容をうまく「梗概」にまとめる自信は持てなかった。だから、木庭の「梗概」を紹介しようと考えたのだ。実のところ、第二十八12巻の本文だけでなく、木庭の「梗概」も何度か読んだ。しかし、木庭の「梗概」を読んで、これが、第二十八巻の内容を的確に要約したものであるのか、判断できなかった。結局は、こういう筋なのかもしれない。しかし、省かれてしまった部分と、採用された部分の選択基準がよくわからなかった。重要性の低い部分が取り込まれている一方で、高い部分が省かれているようにも思えた。たとえば、冒頭でカールス王は実権を失い、サアルホース以下がバラモン教による悪政を行なっていることは、根本的に重要な事実ではないだろうか。
(第3段落) 文章を要約する場合には、特定の視点ないし関心が設定される。その視点なり関心から、原文の内容を評価し、重要性の高いほうから選択し、低い部分を捨て去る。そして、それらを再構成していくことになる。つまり、これは解釈や翻訳に似た行為なのである。では、木庭はどのような尺度を設定して、『霊界物語』を選択し、再構成しようとしたのか。木庭が自分で尺度を設定し、それによって『霊界物語』の文章を取捨選択したとは思えない。木庭が『霊界物語』に向き合う態度は、信者に求められる「拝読」と呼ばれるものであったといえるだろう。それは対象を評価するのではなく、そのまま承認することであろう。
(第4段落) 本居宣長は、『古事記』を読解するとき、その記述が事実であることを前提にした。常識的に納得できないことは、それゆえにかえって真実だと認められる、と書いている。事実でなければ、信じがたいこと、本文が事実であることを疑わしく思われるようなことをわざわざ作為して記述するはずはないというのである。しかし、宣長は『古事記』の文章をそのまま受け入れるという態度から、その文意を理解するために註釈を作成する。その理解を通して、宣長は自ら古事記の思想を形成していく。『古事記伝』を書くことは、たんに対象を理解するだけではなく、宣長の自らの思想形成でもあった。これは、註釈という行為に必然的に伴うものである。
(第5段落) だが、木庭は宣長のような方法をとってはいないように思われる。そもそも、宣長の前にはテキストしかなかったのに、木庭の前には『霊界物語』を書いた王仁三郎が存在した。だから、『霊界物語』という神話の文章を要約して語る必要はなかったのだろう。木庭自身には、王仁三郎とは違う思想を作る意図がなかっただけでなく、王仁三郎の思想の正しい解釈を自ら主張しようとする意図もなかった。彼は、ただ忠実に要約しようとしたのだろう。だが、特定の解釈や評価をもたないかぎり、要約することは不可能である。木庭の「梗概」はそういう意味で、独立した記述としては根本的な困難を抱え込んでいるように見える。だが、それも木庭にとっては当然のことだったのかもしれない。というのも、木庭は自らの「梗概」を独立した文章として作成する意図はなかったのだろう。木庭は「梗概」を、『霊界物語』の内容を圧縮して示すために作ったのではなく、膨大な『霊界物語』を拝読することへの一つの契機になれば十分だったのかもしれない。つまり、「梗概」は、あくまでも『霊界物語』自体を読むための補助となればよいのであって、原本を拝読することを後押しすることが木庭の願いであったと考えるべきであろう。木庭の「梗概」は、本文を参照しなければ、そもそも理解できない文章群なのである。
引用 d 終わり ————————————————
本居宣長の『古事記伝』を読んでいないので,この古典の読解に関する論点を理解することはできない。ぼくは飛鳥藤原地方の遺跡などに関わって幾何学的分析をした。次のものである。木庭元晴,2018. 飛鳥藤原京の山河意匠 ー地形幾何学の視点ー. 関西大学出版部.
この研究のために,古代史や国語学などの研究を結構参照した。そして,この種のいわば,用例を探し日常的な感性だけでしかアプローチできない手法には驚いた。宣長の研究がどれほど,彼自身の世界を構築し得たのかはわからない。現在の絵合わせのような古代史や国語学の「研究」と比べたら遥かに優れた成果なのであろうと想像している。いつか読まなければと思うが,ぼくにとって,この種の学習に裂く時間は無い可能性が高い。
窪田の木庭次守が作成した梗概などを理解しようとする姿勢に,ぼくは共感を持ったことを先に述べておく。さて,この引用dの(第1段落)に,窪田の思いがよく示されている。木庭次守は「三十五万年前の台湾島が神徳によって平和に治められた経緯をのべ、真道彦命は精神界の救世主であることを示されている」というが,その平和というのはまた壊されるではないか,「ここでも、物語は現実との直接的な対応させることはできず、一つの想像上の空間として相対的に独立する」という。まず,ぼくは木庭次守のこの簡潔な要約で,第二十八巻がすっきりと理解できたように思った。窪田は,どうせ平和は壊される,現在の台湾とどう対応しうるのか,というような感想を持っているようだ。窪田はどうも『霊界物語』に,小説的な期待を寄せている。台湾の型が示されていると考えれば済むのではないか。先に窪田が言ってきたことである。
引用dの(第2段落)の終わりに,窪田は,「重要性の低い部分が取り込まれている一方で、高い部分が省かれているようにも思えた。たとえば、冒頭でカールス王は実権を失い、サアルホース以下がバラモン教による悪政を行なっていることは、根本的に重要な事実ではないだろうか」と言っているが,これは誤解である。次に,「第1章 カールス王」の一部を引用する。
霊界物語 > 第28巻 > 第1篇 高砂の島 > 第1章 カールス王
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm2801
引用始め————
174キールスタン『油断のならぬ悪神の仕業……すべて台湾島は高砂島の胞衣と昔の神代より定められ、竜世姫命国魂神として、御守護遊ばす以上は、竜世姫命を丁重に奉斎し、敬神の大道を再興致し候はば、妖怪変化の災は、忽ち払拭する事で御座りませう。アークス王の不慮の御上天も全く国魂神をおろそかにし、バラモンの教を国内に奨励したる神の戒めで御座いませう。カールス王は兎も角も、ヤーチン姫様の御居間丈なりと、三五教の大神を祀り、竜世姫の国魂神を奉斎致さば、初めて御安泰に渡らせられ、流石の難病も必ず本復遊ばす事と考へるのです』189ユリコ姫『キールスタン様いい所へ心付かれました。妾も貴方の御意見通り、国魂の神を祀るべき事は承知致して居りまするが、何を言うても、此国はバラモン教の教を以て政治の助けとなしあれば、三五教の神を念ずる事、世間に現はれなば、如何なる戒めに遭ふやも計り難く、実は内々にて妾一人信仰を致して居りました。然らばあなたと妾と心を協せ、竜世姫命の御前に御祈願致しませう』200 キールスタンは嬉しげに打諾き、両人声を潜めて、202『三五教の大神、殊更に国魂神竜世姫命、守り給へ幸はひ玉へ』205と祈願を凝らしけるに、不思議にもヤーチン姫の病気は刻々と快く、四五日を経て元の如くに全快したりけり。208 これよりヤーチン姫は俄に三五教を信ずる事となり、三人密かに館の一方に斎壇を設けて日夜祈願をこらしつつありける。
引用終わり————————————————
この引用のゴチで示した部分からわかるように,花森彦の長子アークス王の時にはすでに,国魂神竜世姫命は忘れ去られ,バラモン教になってしまっていたのである。木庭次守の梗概(1)の始めにもあるように,「台湾島は,教権は真道彦命の系統にゆだねられ,政権は天使花森彦の系統が継承していた」とあり,アークス王がこの根幹を無視し三五教を捨てて,バラモン教を国内に奨励していたのである。木庭次守は『霊界物語』に書かれていることをくどくどしく述べない。『霊界物語』を自ら読んだ後に,木庭次守の梗概を読むことで気付かされることが多いように思う。
引用dの(第3段落)の終わりに,「木庭はどのような尺度を設定して、『霊界物語』を選択し、再構成しようとしたのか。木庭が自分で尺度を設定し、それによって『霊界物語』の文章を取捨選択したとは思えない。木庭が『霊界物語』に向き合う態度は、信者に求められる「拝読」と呼ばれるものであったといえるだろう。それは対象を評価するのではなく、そのまま承認することであろう」,とするがそうではない。木庭次守は再構成はしていないし,取捨選択もしていない。聖師の意思が『霊界物語』に記されているので,それを淡々と示しているのである。
引用dの(第5段落)の中半に,「彼は、ただ忠実に要約しようとしたのだろう。だが、特定の解釈や評価をもたないかぎり、要約することは不可能である。木庭の『梗概』はそういう意味で、独立した記述としては根本的な困難を抱え込んでいるように見える」とある。すでに(第3段落)の終わりについて述べたように,「聖師の意思が『霊界物語』に記されているので,それを淡々と示している」のである。木庭次守は『霊界物語』をほぼ完全に記憶していた。だから,梗概を書くときに,特にわざわざ『霊界物語』を参照する必要は無い。父が原稿を書いている様子を幾度も見たことがあるが,一切参照せずに,ただただ愛用のプラチナ万年筆で原稿用紙に書いて行くだけである。
佐依彦の要約についての感想の終わりに,次の件がある。
引用 e 始め ——————
狭依彦のこれらの試みを見ると、『霊界物語』を読む姿勢が、木庭の場合とはかなり違っていることに気づく。木庭が『霊界物語』を読んで、それをそのまま受け入れることを基本においているのに対し、狭依彦は『霊界物語』を理解し、そこから何らかの中心的な要素を読み取ろうとしているといえる。ただし、狭依彦は客観的に、あるいは学問的に王仁三郎の思想を分析することを目的としているわけではない。狭依彦の解説の中には「予言」という語がたびたび登場する。狭依彦は王仁三郎の言葉が、その後の事実の中に実現している、ないしは予測していると考えているようである。そこには、宗教的な文献、信仰上の問題として『霊界物語』を読むという性格を読み取ることができる。そして、そういう姿勢がおそらく、『霊界物語』の思想としての主張を抽出するだけの方向へ向かわせない要素になっているだろう。『霊界物語』の神話から教義を抽出することは、あまり実り多い仕事ではない。幕末以降に発生した日本の新宗教は、あまり教義的に展開しない。神道そのものが、儀式に比重がかかり、教義的に発展しない傾向のある信仰ではあるが、それでも近世の神道はかなり教義的に展開する。しかし、新宗教は総じて神話は説くものの、教義的には展開しない。それは、天理教や金光教にもいえることだが、大本教ではとくに特徴的なことではないかと思われる」とある。
引用 e 終わり ————————————————
この引用eの前半の予言を読み解く傾向は,王仁三郎の言動や著作物に由来している。神諭の根幹も警告と予言であり,表現様式に違いはあるが,そのいわば伝統が引き継がれているのである。「1 大日本帝国の台湾喪失の予言」,「2 関東大震災の予言」の例で述べたように予言が適中しているからである。
この引用eの末尾のゴチで強調した文に,ぼくは刺激を受けて,考えてみた。ぼくからすると,『霊界物語』は教義に満ちている。全七十二巻の多くは,国魂に関わっている。十二の国魂の個性を知ることで,世界の人々が幸せになるという観点で,『霊界物語』を読んでいる。王仁三郎は,『霊界物語』全七十二巻については横になっても口述したが,『天祥地瑞』全九巻は正装正座して口述したという。木庭次守の『天祥地瑞』梗概のはじめに,「天祥地瑞全九巻は,大宇宙の根本の世界,霊国である幽の幽の世界,紫微天界の創造修理固成の物語である。約言すれば,天界の国土の創造の物語である。物語七十二巻までは主として地球を中心として宇宙物質の世界にかかわる創造や経緯などが示されている」としている。『天祥地瑞』に示された王仁三郎の言霊学について,他の場所で窪田は批判めいたことを書いているが,言霊学を理解する取っかかりを得ることが難しいが,別途,木庭次守の資料のデジタル化を実施して,示したいと思っている。
出口栄二と出口和明が特集を組んだ後,突如廃刊された研究機関誌『大本教学』の,特に木庭次守の著述部分について,教えの観点から,このぼくのサイトに示したいと思っている。窪田は木庭次守の論文を読んでいない。
さらに続ける。
引用 f 始め———————
木庭は、王仁三郎の近くに永く生活し、王仁三郎の言葉を直接、間接に聞いてきた。後に、彼がそれをまとめたものが『新月の光』である。そこに、第二十八巻に関連した言葉がいくつか見つけられる。よく注目されるのが、王仁三郎の暗号解読的な示唆である。サアルボースが西園寺公望であるとか、トロレンスはトロツキーとレーニンとスターリンを合わせたものだという言葉が存在する。こうした発言を過度に重視すると、『霊界物語』を予言の書と捉え、物語の暗号解読的な読解に向かうことになりやすい。だが、この種の発言を重視し、それを理解の根拠としていくと、政治や社会についての予言の書として物語を解読することになる。しかし、こ
うした発言は断片的なものに過ぎないし、王仁三郎は質問を行なった人、その場面の流れなどに対応して、さまざまな物言いをしている可能性がある。そもそも、そういう解釈は、その時代ごとに関心をもたれた社会情勢や大きな事件と物語の内容をいろいろに恣意的に関連づけていくことにつながる。そうした関連づけは、さまざまな出来事が起こるたびに、あらたに別の関連を生み出すことになる。ということは、固定した最終的な解釈が存在するわけではない、ということになる。
あらためて思えば、『霊界物語』は、その内容に即して忠実に読もうとすると単純に要約することができないことが、その基本的な性格に結びついている、と考えることが重要になるだろう。要約に還元することは物語そのものの否定になるので
はないか。物語の内容は要約からあふれ出すのではないか。
引用 f 終わり————————————————
この引用 f は,通常の見解として適当ではある。しかしながら,見聞きした予言以外に,上掲リンク「霊界物語三神系時代別活動表」で示したように,ぼくが自ら王仁三郎の予言を解読した経験からすると,引用 f の記述はお門違いと言える。
第7章: 『霊界物語』第二十八巻と現実の台湾
この第7章のはじめに,窪田は次のように言っている。
引用 g 始め——————
台湾が日本の一部であり、それが「高砂島」、後の南米大陸の「胞衣」であるという主張は、当時、日本が台湾を領土の一部としていたことが前提になっている。日清戦争の結果、一八九五年(明治二十八)四月に下関講和条約が結ばれた。これにより、台湾は日本の領土となった。それ以降、第二次世界大戦で日本が敗北する一九四五年(昭和二十)八月まで、台湾は日本の一部として存在した。王仁三郎が生まれたのは一八七一年(明治四)で、『霊界物語』が書かれたのが一九二一年(大正十)であるから、王仁三郎にとっても、想定される読者にとっても、台湾は日本だったのである。
引用 g 終わり————————————————
窪田がこの引用gで言いたいことは,「王仁三郎が口述した時には台湾は日本の領土だから,日本と世界の雛形の絵合わせが成立したが,今や成立しない。今や日本と世界の雛形モデルが壊れてしまった」のである。「1 大日本帝国の台湾喪失の予言」で述べたように,王仁三郎は台湾が現状のようになることは,この第二十八巻口述の際にも予知していたと考えて良いだろう。この第1章で述べたように,「この文は,出口王仁三郎が,大正12年1月25日〜27日に口述筆記したもので,初版は大正13年12月29日である。この時に,台湾や琉球が米軍の統治下になることが示されていたのである。太平洋戦争の開戦も敗戦も知っていたことになる」。今後,台湾が中国本土に完全には吸収されず,むしろ日本との緩い同盟関係が生まれるとも限らない。凡夫にはわからないことであり,王仁三郎モデルが完全に壊れたとは必ずしも言えないのではないかとも考えている。
『霊界物語』の表現の舞台設定に対する窪田の疑問が掲げられているところを次に引用する。
引用 h 始め—————
もちろん台湾物語の時代は三十五万年前という設定だから、王仁三郎の時代の文物が登場するはずはない。しかし、熱帯、ないし亜熱帯らしい特徴的な風物もまったく出現しない。台湾は完全に抽象的な存在で、台湾がなぜ舞台でなければならなかったのか、まったく理解できない。自然も人々もまったく現実性がない。第二十八巻に登場する人々(神々)は全員、日本語を話しているようである。その人々のやりとりにも、台湾らしい特徴はまったく存在しない。台湾だけではなく、琉球の南島も登場するが、これもまた抽象的な場面設定としてしか、機能していない。琉球そのものへの関心は見いだすことができない。
この具体性の欠如は、第二十八巻の物語をひどく現実性のないものにしている。だが、これは台湾や琉球だけの問題ではない。『霊界物語』は、たとえ地名が出てきても、現実の土地との結びつきは希薄だ(「入蒙記」はやや特殊だが)。霊界の物語だからといえばそれまでだが、それならば具体的な地名は不必要ではないのか。『霊界物語』の読みにくさの一つの原因は、こうした具体性の少なさにも関係があるだろう。そういえば、第二十八巻は登場人物のかなりの名前がカタカナ表記になっているため、どういう人物なのか、想像が湧きにくい。一方、日本語の名前も一様ではなく、「ユリコ姫」のように近代的な名前と姫を結合したものがあるかと思えば、「真道彦神」のように古代の神話の神の名前に倣ったと思われるものがある。こういう異種の名前の混用は、物語から具体性を失わせ、読者を一種宙づりにする。
引用 h 終わり————————————————
全く同意するものである。王仁三郎は,国魂の個性を表現すべく舞台設定をしている。王仁三郎が実際に三十五万年前の世界が見えたとしても,王仁三郎は三十五万年前と舞台を設定することで,現実の窮屈な枠から外したのだと考えた方が良いだろう。その上で,日本人ならば日常的感覚で理解できる舞台を設定した。登場人物の名前は何らかの役割を示唆しているのであろうが,日本人の日常的感覚で読めばいいのである。窪田の妥当な指摘を受け入れつつ,それゆえにこそ,ぼくは『霊界物語』をより予言の書となりうると考えている。教えだけでなく,予言を伝えるために『霊界物語』という媒体があると考えるのである。
次に,高熊山岩窟での修行と『霊界物語』の内容との関係に対する疑問の部分を次に引用する。
引用 i 始め———————
だが、高熊山の修行期間は三月一日から一週間のことであり、その間に瞑想中に感得したものが『霊界物語』全巻を満たすほどの量に及んだとは、常識的には考えにくい。また、それを四半世紀を隔てて記録するというのも、高熊山の修行の直接的な記録であることに疑いを抱かせる(もちろん、信仰している人たちには別の話だが)。異界に連れ込まれた人が、異界で見聞きしたことを語ったという話は数多く存在するが、そういう記録は基本的には自らの経験の報告であり、『霊界物語』とはまったく性格が異なっている。
引用 i 終わり————————————————
窪田は王仁三郎の自伝などを見ていないので,高熊山岩窟での修行と『霊界物語』の関係を誤解している。王仁三郎口述の『霊界物語』には象徴的に描かれていることが多く,窪田のように表現をそのまま受け取るのはどうかと思う。例えば芥川龍之介の『或阿呆の一生』や『遺書』を,龍之介の掛け値無しの独白として,そのまま受け取っていいものだろうか。深い表現者ほど,簡略化するものであると思う。自伝では高熊山など周辺の里山には何度も訪れて鎮魂帰神を続けている。当時,喜三郎が白装束で徘徊しているのは地元民にはよく知られていたことである。
確かに,喜三郎は高熊山岩窟での修行を契機として,高い霊能力者として成長したのである。
第8章: 王仁三郎の宗教体験と現実
この章には,かなり興味深い指摘がある。その一部を次に引用する。平田篤胤に関わる部分は全く当方が不勉強で,ここでは取り上げない。
引用 j 始め——————
引用 J 終わり————————————————
引用 k 始め——————
引用 k 終わり————————————————
引用 l 始め——————
引用 l 終わり————————————————
引用 m 始め——————
引用 m 終わり————————————————