奄美大島嘉徳海岸の防潮堤建設に関連して1 constructing a new sea wall at Katoku Coast of Amami-oshima I., Japan -1
はじめに
奄美大島は琉球列島では珍しく,笠利半島を除くと,沈水海岸を呈している。これは琉球島弧にフィリピン海プレート上の古島弧が沈み込んで行く過程での現象と思われる。琉球海溝に近い喜界島が世界的に見ても急激に隆起しており,それと連動する形での地殻変動である。
敗戦で,米軍の西太平洋および東アジアの戦略基地として沖縄は位置づけられ,米日双方から過大の投資があったが,日本本土との間隙にある奄美諸島は沖縄に比べると開発は,かなり遅れている。そういう位置づけではあったが,高度経済成長期後半には,奄美諸島でも主要島については,大規模な港湾整備なども実施されてきた。
奄美諸島の中心島嶼は奄美大島であるが,名瀬付近では集中的に資本投下されてきたが,それより南では,地形が急峻でほぼ海岸平野なども見られず,交通事情は今尚,厳しいものがある。その一画に,当該嘉徳がある。瀬戸内町の人口世帯集計 令和3年3月末現在を見ると, 世帯数 17, 男 9, 女 12, 計21とあり,旧古仁屋地区で最も小さな集落を構成している。
Googel Earthで観察すると,人の住む湾奥の砂浜海岸としては,唯一,海岸人工構造物が見られない地である。集落単位のまとまった生活が営まれている自然海岸として,嘉徳海岸は貴重な存在と言えるだろう。
2022年正月現在,この地での海岸構造物建設について,議論があり,その幾つかのサイトを次に掲載する。
1 日本自然保護協会: 護岸計画が3分の1になりました!奄美大島・嘉徳海岸
2 日本ベントス学会: 奄美大島嘉徳海岸の希有な自然の継承のための、護岸によらない砂丘機能の復元と維持管理を求める要望書
3 環境省: 奄美大島・嘉徳海岸を緩衝地帯に編入 世界自然遺産登録に向け 護岸工事計画の鹿児島県「中止する考えない」 南日本新聞
日本自然保護協会から引用(1): 嘉徳海岸は14年の台風で砂浜が浸食され、県は総事業費約5億3000万円をかけ護岸工事を計画。環境への影響を懸念する一部住民の声を受け、17年度に規模、工法を見直し、事業費を3億4000万円に縮小した。ウミガメの産卵などを理由に海岸部は着工していないが、近隣の敷地で護岸ブロックを建設しており、23年度の完成を目指している。
筆者が寄与可能なトピックが何になるのか,考えるために,このページを作成した。上記の三つのWebページに掲載されている内容は自然認識について納得が行かない部分もあった。
1 2014年台風18,19号前後のGE画像
台風被害を評価するために,GEに掲載されている空中写真画像をすべて,次に掲載する。
上掲5枚の写真から何が読み取れるかを次に示す。
1 同集落が海岸構造物建設依頼を決断した切っ掛けは,2014年(平成26年)の台風18号と19号による高潮被害であった。
上記の日本自然保護協会のページの一部を次に引用(2): この砂浜が20m侵食されたことから、鹿児島県による「嘉徳海岸侵食対策事業」が始まりました。原因は、2014年の台風18号、19号の来襲によるもので、民地と小屋が侵食で流失、背後の墓地・耕作物等に被害が出たことで、地元集落から侵食対策の要望が出されました。削られた砂浜には応急対策として大型土のうが並び、集落との意見交換会を元に、国と県の協議が行われ、2017年4月に県の侵食対策事業が採択されました。公表されたのは、長さ530mの護岸計画。侵食部分だけではなく、広い海岸全体に護岸を作る長大なものでした。
台風関係の情報リンクを次に示す。
気象庁:台風第 18 号による大雨と暴風(平成 26(2014)年 10 月 4 日~10 月 6 日)https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/bosai/report/2014/20141004/jyun_sokuji20141004-06.pdf
図6から,奄美に主に影響があったのは10月4日から5日にかけてであった。
気象速報 神戸地方気象台: 平成 26 年台風第 19 号による大雨と暴風について(平成 26 年 10 月 14 日 15 時現在)
図7から,奄美に主に影響があったのは,10月12日であった。
何れの台風についても,嘉徳海岸は,風水害よりも,フェッチの長い高潮災害を受けたものと思われる。
2 GE画像履歴(図1〜5)から見えること。
台風前の景観画像は,図1〜4で,後の画像は図5に限られる。
1 保護協会の上掲ページには,「侵食の緊急対策で設置された大型土嚢。かつては、アダンの茂る海岸線が続いていた」,とあるが,図4と図5を比べて,アダン林に違いは見られない。人工的または台風によって破壊されたような印象を受けるが,理解できない。
2 台風によるビーチまたは浜堤(砂丘)の破壊については,写真比較では,台風後の図5の方が台風前よりかなりビーチ幅が大きくなっているように見える。台風によって一時的にビーチの後退はあったが,かなり短期的に自然回復したようである(拡大前進?)。集落の住居域には台風の被害影は,引用(2)からすると,見られなかったようである。
嘉徳集落は嘉徳ビーチの後背にあり,嘉徳集落の人々にとって海の幸などが得られる場をコンクリートの堤防で自ら破壊するのはどうかと思う。集落の高潮害を回避するためには,海から離れた集落の海方部に接して簡単な堰を設ければいいのであって,陸海境界部に多額の税金を使って防潮堤を建造するのは問題だ。
3 図1では潮位はかなり低く,基盤岩かサンゴ礁の潮間帯プラットフォームが露出している。これは現海水位よりも高い時期があって,その後,ユースタティックな海退があって,現在のようなビーチが形成されたものと思われる。奄美大島中南部は沈水海岸地形をなしており,地殻変動としては沈降傾向にあるが,その上に,ユースタティックな海退があったと考えられる。
4 図1と図3で明瞭に見えているが,2mほどの離水プラットフォームがあって,その上に浜堤および砂丘が載っていて,その場に集落が立地しているように見える。生活用水は浅井戸から得られているかも知れない。この件については,立体視によって既存空中写真から判読したいと思う。
5 図3と図5には,離岸流による海浜砂の湾底への運搬が考えられる。ポケットビーチではあるが,海浜砂は波浪によって汀線付近から沖合に流れ出ていると考えられる。
6 図4で最も明瞭であるが,海底谷が見られる。嘉徳川の延長であって,海退時の地上河谷が沈水したものであろう。現在でも嘉徳川から湾底に河川砂礫が多少は供給されていると考えられる。
2 第1回目の感想
今後の確かな方向性はいまだ見えないが,多額の税金を使って海岸構造物を造る意味は無いと考える。現在定住されている方々の祖先は,既存のアダン林を破壊した形跡がある(立体視による判読)。その部分はアダン林を復活すべきであり,そうすれば高潮災害はほぼ防ぐことができるであろう。代替の土地は,例えば図1に見える谷の河道沿いの平地(判読結果)が適当であろう。集落自体をその場所に移転する方法もある。
住民の古仁屋または奄美市への転居も考えられる。この地での人々の豊かな営為があって,嘉徳の自然海岸は維持されてきたものである。生活圏でなければ,密林と化す。これまでの営為を生かすべく,児童生徒や中高生などの自然学習の場として利用することも可能かと思われる。
以上,Jan. 5, 2021記。
3 空中写真判読結果: 段丘地形学から
当方の専門の段丘地形学から,ついつい見てしまう。この環境問題とはほぼ関係は無いのかも知れない。ただ,嘉徳集落が,海浜に面したちょっとした高台に立地しており,常識的には,単に浜堤や砂丘の上に集落が立地していると考えてしまうのであるが,どうもそうでは無いと,この写真判読をして感じるところとなったので,ここに示したいと思う。
この図8で使用した国土地理院の空中写真は3枚で,左,中央,右はそれぞれ,CKU776-C26B-6, -7, -8にあたる。整理番号 CKU776 コース番号 C26B,撮影年月日 1977/12/10(昭52),数値写真レベル(デジタル) 10000。
図8最下部の凡例に示したように,白線は最終間氷期の海岸線にあたり,透明度50%の白色領域は当時の侵食面および堆積面に当たっている。嘉徳集落の北東に位置する透明度50%赤色領域については,その成因は不明である。嘉徳集落の南方の高まりと共に,NNE-SSW軸の高まりの一部を成し,透明度50%の白色領域も,この軸上に位置している。
旧汀線高度を知るために次に二つの地図を示す。
図9は,国土地理院発行2万5千分の1地形図「山間 やんま」測量年 2006(平18)である。
図10は,2020年10月28日付の嘉徳浜調査会資料で,海岸研究室による「嘉徳浜海浜変形調査中間報告」掲載の図である。海岸線が図の上方に向いている。海岸研究室の古池鋼さん提供。Jan. 6, 2022
図9と図10を比較しつつ,図8の地形分類図と対照すると,透明度50%の白色領域について,旧汀線高度は6mを切るほどであり,最終間氷期のユースタティックな旧汀線高度5〜6mほどと,ほぼ一致しているのである。透明度50%の赤色領域は海抜10mを超える。図9に見える三角点13.5mの高まりも上記NNE-SSE軸と並列しており,構造的には同じ成因によるものと思われる。
本ページのテーマには直接つながらないが,嘉徳集落は,単なる海岸平野に立地しているのではなく,海岸段丘上に立地しており,高潮などの自然災害に対してはかなり堅固とも言えるのである。
4 海浜付近でのボーリング結果から
ここでは,海岸研究室古池鋼さんから得たボーリング結果と段丘との関係について考える。
資料: 鹿児島県大島支庁瀬戸内事務所,平成29年(2017)11月25日. 第1回嘉徳海岸侵食対策事業検討委員会で各委員の方から出された質疑について.ppt全14pages.
図11には,嘉徳集落前の海岸線に近い砂浜でのボーリング分布図が示されている。そのうち,赤囲いされた二カ所について,その結果が図12に示されている。後背の山地を構成する白亜紀層が図12BorNo. 5のマイナス3mには見られる。BoreNo. 2のAg1とAg2は礫質であり,どうも海棲生物遺骸は含まれないようである。白亜紀層の風化層か,段丘礫層であるが,記載からすると何れかは判断しがたい。
「礫」と表現しているのが,円礫か角礫なのか,マトリックスの記載もない。図12中の説明によれば,Ag2は「Ag1がより締まった砂礫層」とあって,Ag2とAg1の間に繋がりがあるような表現である。右下の表の記事を見ると,いずれも構成砂礫種や粒径は同じで,ただN値に違いがある。BoreNo.5は,下位から四万十層群礫岩の上にAg1が直接載っている。Ag2が欠落している。
結局,四万十層群の礫岩上にAg2が不整合に載って,その後,BoreNo. 5ではAg2(一部四万十層群の礫岩)は侵食されて,BoreNos. 5 and 2など,広くAg1が堆積したことと考えられる。つまり,Ag2は最終間氷期の礫層で,それが再堆積したのが,Ag1と言える。このAg1は完新世後期のものであろう。
県役人のパワーポイントのタイトルからするとコンクリート構造物を設置した場合の持続性だけに関心が向けられている。この検討委員会は地域住民の福祉にも,税金をドブに捨てることにも,関心がない。
以上,Jan. 7, 2021記。