小包の送料削減努力 efforts to reduce costs for parcel delivery

はじめに  タニハに関係しては父昇天のち,お供えしたお下がりを関係者に宅配便で送付してきた。片付けが終わって自宅に戻るのが深夜ゆえに,自宅近くでは午前2時まで開いてたファミリーマートから発送した。野菜や果物が多くて,冷蔵便を利用したのであるが,後に得た情報では,ぼくが利用してきたこのファミリーマートは冷蔵庫がなかったようだ。コンビニチェーン内のランクが特別に高い場合は,冷蔵庫が備えられている場合がある。そのファミリーマートの奥さんは凄く感じがよくて,低温の保管場所がある,って言っていたけどもどうもエアコンのある部屋という意味だったようだ。送付先の反応がどうも悪くて,配達車には冷蔵庫がついていても,集配までの保管時間が問題でもあったようだ。もう30年ぐらい前から10年前ぐらいの話である。  今は,数万円余りのお供えをするお祭りは父の昇天の日だけになった。ほとんどの関係者が鬼籍に入っており,生き残りの方々にお送りするのだが,乾物(結構高級な大豆,昆布,干し椎茸)に限定している。送料は1300円程度で送ってきたが,年金生活者には送料もキツくなってきた。 以上,2024/08/20。 1. 郵便局限定のゆうパック  クロネコとゆうパックが,利用するには便利かなあ,と思っていた。ぼくの行動範囲だと,郵便局利用の方がいいかとは思う。自宅周辺には,「最寄り」郵便局が類似の2km前後にある。タニハに有料道路を使って車で行く途中の東ときわ台が実は最寄りだ。阪急オアシスで昼食などを購入して,徒歩で郵便局に向かう,これがぼくにとっては最も利便性が高い。自宅からすると,クロネコの配送センターが郵便局よりも近いがここは駐車しにくくて,余り行きたくない。  今回,乾物を送付するのに,ゆうパックを利用できた。パックする箱を,縦+横+厚み=実寸サイズ < 60 cm,にすれば最低額?で送付できる。ゆうパックの利用は,スマートフォンのアプリで実行することになる。  なお,レターパックも考えたが,この時は自宅に相当数買い置きしているレターパックライト370をみていたので,使えないと判断した。  郵便局アプリぼくの場合はiPhone用。これをiPhoneに,iPhone用アプリのQRコードから,ダウンロードして,開いて,このアプリのなかにさらに,追加的アプリのリンクがあるので,さらにインストールする必要がある。その詳細は省略する。ゆうID,のmailアドレスとパスワード,もちろん,さらに個人情報などの入力が必要だ。 クレジット決済をする場合はクレジットカードの登録も必要だ。ぼくはこの場合は郵便貯金情報が必要かと思ったがクレジットカードだった。驚きだ。直接,ゆうちょ銀行の自分の口座から振り込む方が郵便局にとって,メリットが高いと思われるのだが, 自宅でiPhone内の「連絡先」アプリで送付先を表示しつつ,郵便局アプリに送付先を入力して,登録してゆけば良い。  それで,郵便局決済のものとクレジット決済のものを作成して,東ときわ台の郵便局から送付した。郵便局には「ゆうプリタッチ」という読み取り装置にかざすと,送り状を印刷できる。それを窓口に持参するのである。 住所区域が同じ場合,「郵便局アプリ」利用(-120円)で,870円。「郵便局アプリ」利用(-120円)と「スマホ割」利用(-60円)で,810円であった。  これまで,回りの適当な段ボール箱を使っていたので,1100円,1300円ぐらいのことも普通だったので,かなりの節約ではあった。 2. 最も廉価なレターパック利用 郵便局のレターパック の情報を見て,びっくり。図2のように,厚さは関係無い。ポスト投函はできないので,郵便局に行くことになるが。これだと520円だから圧倒的に安いし,自ら箱を用意する必要もない。次回は,レターパックプラスだなあ。知る知らないで大きく違うんだ。 以上,2024/08/20。

夏祭りの前に prep for the 2024 summer fest

はじめに  また,父の昇天の日が迫ってきた。ぼくも父の昇の際の年齢に迫ってきた。水道の閉栓を亀岡市の水道局に連絡。8月12日閉栓,15日開栓だ。とにかく,昨日はファイナルサイトから始めた。まずは周辺からと考えると進めない。 フィリピン海プレートとユーラシアプレートの間の歪みによる地震活動が数日前に日向灘ではじまり,昨日は伊豆半島の東側の1923年関東地震の震央付近で地震があった。2011年東日本大震災をもたらした巨大地震が引き金になっている。もう地震間隔からすると一世紀近く遅れている東京湾北部地震が心配だ。地震予知は現在の科学ではできない。単に地震履歴だけで単純に「予想」する。 このタニハでの作業をいつまで続けることができるか少し心配になってきた。地震のためではなく,年齢のためだが。 1. 神棚  図1,2のようにまずは神棚の掃除から。 2. 長机にお供えの準備  図3のように,東之間の掃除をして長机を並べて,三宝を配置した。図4のように,手前は祓戸主とお玉串入れを配置,中央の6皿は三神と産土さん,最奥6皿が父などのお供え。 3. 神饌準備コーナー  このコーナーには断水に備えて水タンクに給水した。上掛けしていたタオルは洗濯のために自宅へ。 4. 神棚の照明  図8, 9の蛍光灯の更新は2020年,2021年か。新たな照明器具に更新した。図10は初代のもので利用頻度が低いためだったであろうが,遂にダメになったか。蛍光灯を替えても点灯しない。グローランプは欠品。ケーズ電気で買って明日,持参する。 コイズミ LED流し元灯 直付・壁付両用型 昼白色 BB16721PB Amazonに2024/08/10注文した。明後日Aug. 12, 2024,到着予定。Amazonで,3300円。もう蛍光灯は照明器具としては無くなっている。メーカーがコイズミなので,何とか純中国製ではない。火災の可能性があるので,まあ,純中国製は避けた方がいいと思っているが,さて。横幅が現在のものは33cm+だが,この製品は48cmにであるが,これは仕方がない。設置は可能だと思う。電気工事要だが,まあ,問題ない。すでに図8, 9はぼくが交換した。雜い。 5. 奥田って?  図12のメモを神殿に残しているので意味があるのだろう。誰が言ったのか,年次がない。図12の資料のそばに図13, 14のはがきがあるので,奥田のフルネームがわかる。この事件の年次は平成3 (1991) 年とわかる。父のこのメモは風化するので,ここに掲載しておく。 6. タニハ開所式  図15の,開祖,聖師,二代教主への往復はがきに書かれた招待状があった。二時期あるようだ。切手代金が40円の時期と41円の時期である。最初の方が,日本博物館協会第3代会長の徳川宗敬さんや上野恩賜動物園の初代園長古賀忠道さんが出席された開所式のものだろう。 図16, 17が何故残してあるのか,ぼくは理解できない。 7. 短冊とご神体  図18は聖師昇天の後,父は二代教主のお側にいて,二代教主の教団に関してのお考えをお聞きしている。それは昨冬に発見して,ぼくは自宅に持ち帰った。かなりの文字数で解読も難しく,数ヶ月かかるかも知れない。 発表の時期ではないと父は考えてのことだろう,生前は発表しなかった。父が昇天して三十年,発表しても問題無いだろうと思っている。他の仕事もあるが,早くまとめたいと思っている。図19はきわめて素直で達筆なので,三代教主筆のご神体かと思われる? 8. 聖師拇印入りの短冊  かなり風化している。図20の短冊は左端のものを除いて,切断されている。どこから父が取得したものかは,わからない。左端の封筒には聖師の拇印あり,というようなメモがある。それぞれの短冊の断片の裏にはすべて,聖師の拇印がある。聖師の拇印の特徴である,中心に小さな穴が見られる。 9. いづとみづから出版  父は戦後,精力的にガリ刷り,邦文タイプ印刷の,マニュスクリプトを作成している。熱心な信者さんには配付していたようである。そのうちの2册を,いづとみづ舎が出版している。六十年代末以来の大本本部のように父の名前を削除してではなく,「木庭次守編と編集メモ」が削除されずに出版されたのである。さらに,次のものを手渡したので,この2册とともに収納されているのであろう。父は嬉しかったに違い無い。 そのマニュスクリプトも表紙(図23)とあとがき(図24)を次に示す。ぼくの経験からすると,ぼくが現在作成中の原稿と関係がある(父が教えている)のだろうから,自宅に持ち帰った。タニハに来るたびに必要な資料が示される。 10. 日本タニハ文化研究所之印  本サイトに記しているが八月一日のWordPressの会合に出るべく,ぼくの名刺をラクスルに注文してその三日後ぐらいに届いた。極めて廉価でよく出来ている。それで数日前にタニハの蔵書印をラクスルに注文することを思いついた。デザインを考えていて,タニハ碑の徳川宗敬(日本博物館協会会長,伊勢神宮大宮司)の揮毫でもiPhoneで撮影しようかと思って,昨日,タニハに出かけた。 ところが,神棚から図25が出て来て,図26のタニハ印を使えば良いということになった。これも父がぼくに伝えたようである。そういえば,この印は見たことがある。ツゲ材だったような。どこにあるかわからない。今朝確認したが,父の最後に持っていたカバンにも無い。木庭の印はカバンに中にあった。 白舟篆書(はくしゅうてんしょ)の詳細・ダウンロード | 白舟書体ならJ-Font.comこのサイトでは,日常的な文字を,篆書表示してくれる。ありがたい。「之」が図26と図27で異なる。わからないが,図27を採用したいと思っている。白舟篆書(はくしゅうてんしょ)の詳細・ダウンロード | 白舟書体ならJ-Font.comこのサイトでは,日常的な文字を,篆書表示してくれる。ありがたい。「之」が図26と図27で異なる。わからないが,図27を採用したいと思っている。図28にはフルに。  聖師は明治4 (1871)年旧7月21日誕生である。父は正しく平成三年旧七月十二日(聖師生誕)に記しているのである。 以上,2024/08/10。(タニハでの作業は2024/08/09) 11. 開祖,聖師,二代  図29には開祖の遺影が。当初,ぼくには金属に印刷されているように見えたが,ガラス地の乾板写真である。1884年にオーストリアの化学者 Josef Maria Ederによって改良された乾板写真である。ふと考えて見ると,プリントではないので,この写真はオリジナルである。つまり,開祖がカメラのレンズを透してこのガラス版に直接写っているものである。かなりの時間(数分?)を要しての撮影であったと思われる。 図30には二代様から父が手ずから頂いた聖師存命中に飲み残された煙草。図31には父が二代様から頂いた拇印。女性らしい拇印だが,拇印中には右手に見える模様が見える。 12. 楽焼破片,フィルム,天皇から返事  図32はおそらく高熊山で拾った楽焼破片ではないか。父と高熊山の参拝をした際に巌窟前の棚上で父がここから耀盌破片が出ると言っていた記憶がある。本人が拾ったか質問したような気がするがその回答は無かったような? この破片には聖師の指押し跡がハッキリと残っている。図33はフィルムである。カビはない。図34は昭和天皇がオオミズナギドリの研究者であり,その研究を地元の高校だったかの教師が研究をされていて,その結果をタニハから出版し,その書籍を昭和天皇に献上。天皇の手に渡ったことが記されている。 13. 神殿とその周辺の掃除完了  父の神棚コーナーのLED照明器具が,本日2024/08/12午前中,Amazonから届いて,開封して準備完了した。一昨晩注文したものである。早ーい。神饌コーナーから回収した六本のタオルの洗濯も完了しているので,明日持参だ。 以上,2024/08/12記。2024/08/11実施。 14. 父コーナーLED照明設置  図11のLED照明と交換した。これだけの工事で,2024/08/13をほとんど費やした。  図41の図面のストリップゲージ strip gaugeの意味が昨日の作業中はわからなかった。いま,ネットで調べたら,屋内の配線の電線の樹脂被覆の剥く長さのことらしい。図42の赤白の電線が接続されている白い直方体の部品があるが,この部品の上縁に ← 12mm -,と表示されていて,この長さが12mmということらしい。屋内からの配線の先の樹脂を12m長に剥く必要があって,図43に見えるメジャーで計測した。メジャーが安定しないので結構,長さを計るのは難しかった。この図42の,← 12mm -,を使えば,便利だろう。  すでにこれが設置されていて,屋内配線を抜く時に,図41の説明のように,図42の左から右を見た時に,ハの字になっているスリットに幅6mmのドライバー(図43にメジャーでドライバーの幅6mmを確認している)を刺すと,ケーブルが抜けやすくなるというのだ。 ところがハの字のスリットにドライバーを差し込んでも,屋内配線からの電線が入らない。これで1時間半ぐらい格闘していたのである。図42にスリットの奥の光った銅部品が見えるが,図43に見えるこの直方体の側面の穴から,爪楊枝を差し込むと,この銅部品が少し奥に入ることを確認したりしていたのである。  ところがである。新たに屋内配線からの電線を押し込む必要は無かったようなのだ。押し込んでも,このスリットの銅は動かないのだ。屋内配線からの電線は銅の固い1本のしっかりしたもので,天井裏からの伸びている屋内配線は固くて,この言わばバネ効果で形としてはスカスカの穴に電線を「固定」できるのである。不安ではあるが,である。そして,図40に見える電線の黒を上方,白を下方,に配置したが,点灯しない。そこで入れ替えると成功したのである。  図47, 48は左手(父)のコーナーが点灯している様子であるが,何と図49にはスウィッチが二つあった。下の方が,左手のコーナー用で,このスウィッチをOFFにしていたために,蛍光灯が点灯しなかったらしいのである。大きな額の後のスウィッチを手探りでON,OFFしていたので,右手のコーナーだけONにしていたようなのである。年一回もこの左手のコーナーは点灯しないので(ロウソクでちょうどいいのだ),忘れていたのである。まあ,前のはシェードが壊れて無かったので,更新されて良かった? 以上,2024/08/15 (工事は昨日)

タニハ蔵書印 ordering an ownership stamp of Nihon Taniha Cultural Institute

はじめに  ラクスルで名刺を作ってリーズナブルだったので,蔵書印を思いついた。ラクスルの守備範囲に蔵書印もあった。マイ蔵書印 である。イラストレータのテンプレートも用意されている。デザイン集はなくて,枠が用意されているだけである。 1. 商品選択 一般用途[感光樹脂] データ入稿 アクリル・プラ台ゴム印 33×33mm を選択した。感光樹脂というのは,3Dプリンターで液体インクで整形をして,紫外線を当てて,固化する樹脂である。彫るのではなくて塗って整形する。廉価に出来上がる。まあ,これで十分だ。朱肉は使えないのではないか。シャチハタの謄写インクにだけ対応しているのか。3180 円。  インクはシャチハタの赤色にしよう。サンビー館のスタンプ台・スタンプ台補充インクか。ラクスルのサイトからリンクされている。 2. デザインの構想  タニハの字は,石碑「タニハ文化研究所」の徳川宗敬さんの揮毫を使おう。木庭次守が作った印鑑のデザインを枠に利用しよう。西暦年号も入れよう。揮毫年(昭和51 (1976) 年)とするか,木庭次守が逮捕された1935にするか。王仁三郎昇天の1947年にするか。この年号は王仁三郎から出口すみに移った歳でもある。タニハの創立は揮毫年よりも年を遡るが揮毫年が適当のように思う。現在,日本タニハ文化研究所となっているが,闘病後のことである。揮毫年が適当かなあ。 以上,2024/08/05。 3. 久しぶりに見て購入    上記2.のこだわりはやーめた。HOT-白舟教漢Mなるものをmacにインストールしていたようだ。これでいいことにする。用意されている「ひな形ダウンロード」リンクから,イラストレーターファイルをダウンロードして,Adobe Illustratorで,日本タニハ文化研究所蔵書,テキストをアウトライン化して,正方形枠に載せた。横幅を引っ張って拡大している。 図5はさらに見やすくしている。文字幅Tを150%にすると図4のようなスカスカから脱却できた。正方形枠一杯に文字領域を引っ張り出している。 Jan. 28, 2025に注文した。3180円+宅配便代金550円 = 3730円。会員登録もした。Jan. 31に到着予定になっている。 以上,2025年1月28日。  ハンコヤドットコムから,メールがあった。アウトラインができていないという。書式 / アウトラインを作成だ。 全文字を選択したのが図6,選択を外したのが図7である。再送した。参考: Illustrator(イラレ)でフォントをアウトライン化する方法。 以上,2025年1月29日。

自らのウェブサイトを永代供養 WayBackMachine

はじめに  さくらインターネットのユーザーサポートの責任者の方だったからか,今日のエックスサーバー大阪本社での講演会のあと,お尋ねして,図1のようなWayBackMachineのサイトを,教えていただいた。思えば,まずはNHKのニュースで見たこともあり,ぼく自身もコンテンツの検索で,このサイトを閲覧したこともあったようだ。しかし,ぼくが今,問題にしている視点で,このサイトを認識できていなかった。これを今すぐ使うということではないが,使い方をまとめておきたいと思う。以上,2024/08/03。  ウィキペディアのウェイバックマシン(Wayback Machine)には,その詳細が示されているが,創設者と名称の由来を次に。————————————————2001年、インターネットアーカイブの創設者であるブリュースター・ケールとブルース・ギリアットがウェブサイトのコンテンツが閉鎖やサイトリニューアルなどで消失する問題に対処するために立ち上げた。「Wayback Machine」の名はアニメーション作品「ロッキーとブルウィンクルの大冒険」に登場するキャラクターのミスター・ピーボディとシャーマンが使用する「WABACマシン」(WABACはウェイバックと発音)というタイムトラベルマシンが由来である[6][7]。シリーズ作品の1つである「Peabody’s Improbable History」では日常的にWABACマシンを使って度々有名な歴史上の出来事を目の当たりにするだけでなく直接的に関与し改変したりしている。————————————————  著作権などに係わって訴訟問題などがあるが,ぼくにとっては,ぼくが作成したコンテンツがぼくの死後も残ることを期待している。残す方法として,さくらインターネットサーバーのスタッフに昨日お会いして,ぼくの希望を伝えた。その結果として,前述のように,ウェイバックマシンの利用のアドバイスを頂いたのである。 ぼくの提案は学会の永年会員制度を超えるものであった。学会の場合,永年会員が死亡すればその時点で終わる。永年会員中は学会誌が届いて,学会発表費は会員として請求される。学会の永年会員のように死んだら終わるでは意味が無いので,ネット上の場合は死んでもコンテンツが存続するということである。企業の場合,今後,解散ということもあり,解散の場合に,次の企業に受け継がれる必要がある。そういう制度が欲しい。企業間で手続きをする義務を伴う必要性があるので,何らかの法的拘束力が必要になる。企業が解散する場合,財力が枯渇している場合が多いだろうから,現行企業が保存を約束することはできない。 お寺の永代供養もデジタルコンテンツと結局は変わらないと思う。永代供養と銘打って遺族からお金を得ているが,ぼくらが日常的に目撃しているように,墓地にブルドーザーが入って,墓石は取り除かれ,そのスペースを駐車場なんかにしている。まあ,20年ぐらい経てば,次はこの場が宅地として販売されたりする。コンクリートの祠を建てて,そこに幅20cmx高さ30cmx深さ10cmの枠を作って,それをそれまでの墓地に代わるものとして販売している。この祠もいつしか解体廃棄される。樹木葬も見た目は自然に帰って樹木のそばで小鳥のさえずりのなか,安らかに眠るって,イメージであるが,放置されてジャングルになるか,ブルドーザーが入る時期がくる。  何とかデジタルコンテンツを100年間,利用に供することができたとしても,その後はもうわからない。人類が滅亡するのは遠くは無いにしても,保存する意味を考えると,わからなくなる。さくらの方も,デジタルよりも紙の本が残る,と言っていたが,ぼくはそれに否定的反応をした。スサノヲのKindle本を作成する過程でも気付いたことであった。古い本が残っているのは戦後出た岩波の古典文學大系などである。戦後,食えないなか,こういう全集本は売れた。知識への渇望であった。この種の本を理解することはかなり容易ではあるが,毎月配本されるが故に食傷気味になって,やがては届いても開くことも無く,本棚を埋めるだけになる。その子供達は関心がなく,古本屋に持って行く。1册3000円で買った当時の月給は一万円余りかもしれない。その本が古本屋に持って行くと高くても100円程度も受け取れるかどうか。現在この種の本をネット上の古本ショップで購入しようとすると1000円弱である。この種の本の需要もなくなると古本屋は無料でも受けとらなくなる。ましてや雑本の価値はほぼゼロだし資源ゴミになるぐらい。紙の本も残らないのである。紙の本も残らない。  国立国会図書館には日本で出版された本のすべてを収集しようとする法的根拠がある。貴重本のPDFも(それが実現した場合は)閲覧用に公開されてもいる。大変ありがたい。父が出版した本もある程度送っているようだ。とはいえ,それは一部であって,調べて送付していないものを送るべきとは思っている。 さて,ウェブ上のデジタルコンテンツを収集することにも,国立国会図書館またはそれに代わるたとえば国立デジタルコンテンツアーカイブズセンター(仮称)が取り組んでもいい時期ではあると思う。まあ,日本ではなかなかそういう流れはできない。さくらやエックスサーバーなどがそういう流れを作る意欲もないだろう。とにかく,アメリカは凄い国だと思う。 以上,2024/08/04。 1. WayBack Machineの利用法について  https://archive.org から入ることになるが,説明を見ても,ぼくのような利用法が簡単にはみつからないので,まずは解説サイトからみてみよう。幾つかの解説サイトがあるが稚拙なものが多く,現状,ぼくがいいと思ったのは次のものだけである。 Wayback Machine(ウェイバックマシン)とは何者なのか?知っておくと便利な使い方を簡単に解説 2022.10.26 以上,2024/08/05。このページは一時,お休みします。

ゆめこ来阪あす coming here tomorrow

明日,ゆめこ来阪。昨日は友人と亀岡のテンブラ屋さんで飲み会。明日はたいようくんと大阪駅そばの高層ビルでWordPressの講演会出席だ。  昨日の八月一日は亀岡駅そばの天ぷら屋さんで,高校時代の友人計7名で飲み会だった。自宅そばの御堂筋線の駅まで自転車で。そして地下鉄で新大阪駅へ。外人が多くなった。お握り一つが400円近い。二個購入して駅のプラットフォームで新快速待ちの間に立って食べる。京都駅で降りて,嵯峨線の快速がうまく繋がって,これに乗り換え。開始5時半の1時間前に亀岡駅に到着。 亀岡駅南口(もとはここだけ)から出て,喫茶店にでもと,旧駅前通りの営業中の店を探したが1軒もない。37度の暑さで,亀岡駅唯一のエアコンが効いていた観光案内所に戻って,涼むしか無いと考えた。店員さんに休憩する場所がないと伝えたら,新たにできた北口にはスタバがあるとのこと。そういえば和歌山県在住の弟と車でWi-Fiを使うために行ったことがある。 北口から出たが,スタバが見えない。通行の二人連れの青年に尋ねたら,あのビルの裏だと。30分ほどスタバに滞在。繁盛している。もう亀岡駅の唯一の出入り口であった南口は裏口になってしまったのだ。北口にはイタリアンレストランとスタバがある。大きなアーバン集合住宅とホテルもできた。北口はサンガのサッカー場だ。水田風景も牛松山も遠望できる。  図1のサクラは京都丸山公演のしだれ桜のタネから栽培したという。こじんまりしていて,いい感じだ。風衝木のように見える。そういえば,昔,この駅前にはやはりロータリーがあって,中央に木が植わっていたような? かつては台風の度に水に浸かっていたこの場所も,保津川の河川改修が功を奏して,今後,浸からない?のだろう,か?  5時半には天ぷら屋さんの竃泉(きせん)で10時まで。帰りは向日町に住む友人と帰った。繋ぎがうまくいって,御堂筋線終点箕面萱野駅に12時過ぎには戻ることができた。こんなに遅くこの駅に到着したのは初めてだ。プラットフォームに続く改札は閉じていて,エスカレーターで地上まで降りることになった。 帰宅後,オリンピックを見ていて,眠れなくなった。飲み会での自分の発言がぼくを脅迫する。メールアドレスがわかる友人三人にお詫び?のメールをして,やっと安心。翌朝,一人の友人から優しいリアクションがあった。  明日の娘ファミリーをむかえるためにぼくの寝室となっている八畳間を明け渡すべく,掃除をした。そしてぼくは使っていない方の書斎部屋を片付けべく。段ボール箱の解体からはじまる。上階からのエアコン流だけでは暑くて,エアコンをつけようとしたらリモコンが効かない。年に3回ほど使う部屋で年トータルで半月も使わないが,リモコンが電池を替えても使えない。ネットでシャープのサポートを探したら,なんと1回500円。そして,以降,月5000円弱。信じられない。問い合わせたら,専門家?に回されて,結局,電池交換とリセットボタンを押すというサポートのみ。それで機能しない場合,新品と交換って。それで500円取るう? 最低評価していて,サポート継続を遮断した。 別の部屋のシャープのエアコン用のリモコンで操作ができることは確認した。  この部屋のLED シールドランプは中国製だ。3年ほど前に購入した。リモコンがみつからない。電源を入れると,薄ぐらい明るさで,時間が立つと明るくなるが,また暗くなる。リモコンを家捜(やさが)ししたがみつからない。  新規にリモコンだけ購入しようと検索。図3のアプリはiPhone 12 Proにインストールしていたのであるが,これではシーリングライトを認識できない。2Gのみ対応となっている。試しに,この新しい?アプリをダウンロードしてみた。  なんと,これで,シーリングライトが捉えられたのである。図5のiPhone画面で,RGB環状域の○をドラッグすれば,それに対応する形で,図4のように,スマートランプが輝くのである。  図5の右上の電源アイコンでON, OFFが可能だ。図4のスマートランプは,図5の左上の,電球 4F4FE6,だ。ボタンの他の機能も利用できる。いらないが。自宅のWi-Fiは4G, 5Gだけだが,2Gにも対応しているのか,アプリがより上位にも対応したのか,わからない。 この電球の寿命はこれから何年ぐらい持つだろうか。 以上,2024/08/02。  いま,wordpressの講演会に向かっている。娘の長男,急遽,欠席。届けるように言ったら,ぼくの分までキャンセルしたというメールを,江坂駅で受けとる。信じられない。とにかく,梅田に向かっている。他の人のキャンセルを勝手にできない筈だから,さくらレンタルサーバーの講演会ページに入らない方がいいだろう。 以上,13:07,2024/08/03。 さくらレンタルサーバーとエックスサーバーの集まりについて。 八月三日,暑かった。梅田はものすごい人出だ。開始は午後2時だが,ぼくとしては例外的に午後1時40分頃,会場に到着した。グランフロント大阪タワーA 32Fだ。大阪駅から陸橋一つで繋がっている。9Fまで誰でも入ることのできる所まで行って,その後,Officeのスペースに移って32Fまで。かなり狭い。エックスサーバーの大阪本社というが,出し入れ可能な椅子ぐらいとカウンター一つ。部屋数は3部屋ぐらいか。このスペースでは仕事はできないから,単に会議場スペースという所か。IT企業はこういったものだろう。大阪であれば,たとえば茨木とか三田みたいなところで実際の業務が実施されているのか。調べていない。  スタッフは皆若い。参加者は30名に満たない。ぼくは最高齢であろうが高齢者が多い印象だった。ぼくは突発性難聴発症後は,耳鳴りが継続的にあって,聴力はかなり低下している。若い人は口の開け閉めが小さくて,早口で,聞き取りにくい。 図6〜10はさくらインターネットのレクチャーの一部。図8はさくらインターネットのレクチャーの様子である。左の部長さんが右の専門スタッフに話題を振る形で,この形はいいのだが,声が対話の相手に向いているので,かなり聞き取りにくかった。全体に言えることだが,マイクが欲しかった。狭い部屋ではあるが。   聞き取れた雰囲気で言うと,さくらのコントロールパネルにログインして,日頃,PHPなどのバージョンを確認してソフトウェアの更新状況を小忠実に管理すべきということだろう。バックアップはローカルにダウンロードして取って置いた方が良いという。まあ,これはさくら単体でバックアップを取る場合で,ぼくのようにGoogle Driveをレンタルしてここにバックアップを取っている場合は,ローカルにバックアップをダウンロードする必要は無いだろう。  ふるさと納税のソフト開発のはなしがあったが,これにはぼくは関心がなく,ここには示さない。この講演参加者の多くが最も関心を持ったようだ。wordpressで小商いをしている業者が聴衆の大半であったようだ。ぼくのような一般ユーザーはぼく以外,参加していなかったのではないか。このふるさと納税の開発者の日本語はかなり不完全だった。こういう人は多い。  一つ目のさくらの方の話も,このふるさと納税ソフト開発の方の話も,WordPressのセキュリティ能力は低く,個人情報が盗まれる前提で考えた方がよいということであった。WordPressの利便性故に採用するということのようだ。  三番目はエックスサーバーのスタッフから。このレクチャーが最も興味深かった。発声もよかった。率直な感想を交えてのWordPressテーマ開発の経過紹介であった。分野は異なるが研究者として同感できることも多かった。  一つ目のさくらの方のレクチャーのあと,カフェテリアに行って,コンテンツの「永代供養」に関して尋ねた。図8右手奥の方が,カフェテリアを出た僕を追っかけてきて,ご紹介いただいたWayBackMachineの情報は大変ありがたかった。今回の遠出で,最も期待した情報であった。次のページにそれについて書こうと思う。  さくらレンタルサーバーのスタッフにお会いして,さくらに対して親近感がました。2002年だった,授業用のウェブサイトを関西大学のサーバーに作って運用してきたが,定年退職2020年の前にと,2016年だったからか,さくらレンタルサーバーを使い始めた。Adobe Dreamweaverで作成管理していた。コンテンツはすべてローカルに保存していた。WordPressは退職後の2020年から開始したようである。別のページに書いているようにドメイン料金が年1万円ほど別に取られていたことを認識し,エックスサーバーへの移行も考えている。三番目の方,後藤さんか,の印象がよく,エックスサーバーへの移行に魅力を感じている。  今日は自宅で,娘とその男の子二人と家内とで,大きな鰻丼パーティとなった。 以上,2024/08/03。