1. 『霊界物語』校定版まで

 決定版『霊界物語』を知る上で,「校定版」が参考資料として,最も適している。この『霊界物語』の初巻である第一巻,霊主体従,子の巻,の奥付(おくづけ)を見ると,

大正十年十一月三十日初版発行
昭和七年七月一日第十版発行
昭和三十四年七月廿八日普及版発行
昭和四十二年八月七日校定版発行
第1巻 霊主体従 子の巻 奥付

 『資料篇』で見ると,次の表のようである。

大正十年十二月三十日初版発行
昭和七年七月一日(10版) 最終校正原本は昭和25年12月30日焼失著者校正
『資料篇』 p. 87

 両者で初版発行について,一月のズレがある。自ら確認するしか無いが,初版も私は管理しているので,機会があれば確認したいが,後掲の第1巻あとがきからすると,初版発行は12月30日が正しいようである。なお,第十版は著者校正の日付と合致しており,これは校正が反映されているものと考えて良い。上記『資料篇』p. 87の「最終校正」はいつ実施されたものなのか。この校定版の第1巻の「あとがき」すべてを次に引用する。ネット検索したらオニペディアに掲載されていた。それをコピペして再掲載する。

https://onipedia.info/wiki/%E6%A0%A1%E5%AE%9A%E7%89%88

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あとがき
一、霊界物語は、大正十年十月十八日より、著作口述をはじめられ、大正十五年七月一日に、第七十二巻を了へ、さらに昭和八年十月四日、七十三巻(「天祥地瑞」)の口述をはじめられ、昭和九年八月十五日に八十一巻を了へられた。
一、印刷刊行は、第一巻が大正十年十二月、―第七十二巻が昭和四年四月、第七十三巻が昭和八年十一月、―第八十一巻が昭和九年十二月である。
一、その後、巻によつては、しばしば版を重ねられ、第一巻などは、昭和七年七月に第十版が刊行された。全巻をまとめたものとしては、昭和三十四年から二ケ年間に普及版が、引続き「天祥地瑞」が復刊された。
一、昭和九年十二月から昭和十年六月にわたり、出口聖師は、全七十二巻(実際は七十三冊)について、自ら詳細に補正の筆を加へられたが、幸ひ、その校定本そのものが、大本事件の証拠物件として裁判所に保管されていたため、焼却などの厄を免れ、事件解決後、無事返還された。
一、今回の刊行は、すべて、聖師の校定本を原本としたものである。
 ただし、第一巻、第二巻および第二十七巻の校定本は、昭和二十五年の事務所火災のおり焼失したものか、現存してないので、それらに対しては、第三巻以下の補正の個所を具さに研鑽し、それに準拠さしていただくこととしたのである。
一、カナづかひは、原本の通り、旧カナにしてゐるが、漢字でなくてもよいと思はれるものは、カナにあらためた。
一、本巻の第十二章までは、全部、出口聖師みづから執筆せられ、「回顧録」と題して、大正十年二月十日号の「神霊界」誌上に発表され、さらに多少の訂正を加へられたものである。
 なほ各章の末尾には、口述された年月日と、筆録者の氏名が記されているが、そのときの都合で、口述者みづから執筆されたものもあることを申しそえておきたい。
一、この種の〝編者のことば〟は、原本においては、各巻の初めに『凡例』として掲載されているのであるが、今回の刊行にあたっては、これを『あとがき』に改め、巻末に入れることとした。
  昭和四十二年七月
                    編者
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 この引用文については原本と対照したが,ルビが外されている以外,変更部分はない。4項目に「昭和九年十二月から昭和十年六月にわたり、出口聖師は、全七十二巻(実際は七十三冊)について、自ら詳細に補正の筆を加へられた」とされているように,聖師最後の校正は,全七十二巻(実際は七十三冊)について,昭和9年12月〜昭和10年6月の間に実施されたことになる。第73巻〜第81巻にあたる天祥地瑞については,聖師は追加的な校正を実施していない。

 オニペディアの先のページには次のように,大本教典刊行会による校定版の定義が示されている。

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校定版(こうていばん)とは、昭和42年(1967年)8月(木庭追記:8月7日)から45年9月(木庭追記:9月18日)にかけて天声社が刊行した霊界物語のこと。天祥地瑞を除く72巻74冊が発刊された。正式には「校定版」だが「校訂版」とも呼ばれることもある。
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 校定版と校訂版の違いを確認したい。校定と校訂では意味は異なる。金田一春彦・池田弥三郎編『学研国語大辞典』によれば,校定は,〔書物の文章・文字などを〕比べ合わせ,文の意味などを考えて本文を決定すること。校訂は,〔古典などの文章を〕他の伝本と比べ合わせ正しいものにするため,文字・文句などをなおすこと,である。聖師の発行済みの『霊界物語』72巻に,聖師直筆で手が入っており(王仁校正),校定版はこれにただ従ったのであって,「正しさ」を求める「校訂」ではなく,ただ「比べ合わせる」意味合いが強い「校定」がより適切と思われる。

. 校定版に続く『天祥地瑞』三版

 この校定版に続く,『霊界物語』第七十三巻,天祥地瑞 子の巻,の奥付を見ると,  

昭和八年十一月廿二日初版発行
昭和三十五年六月十五日再版発行
昭和四十五年十一月十八日三版発行
第73巻 天祥地瑞 奥付

  『霊界物語』の最終巻である第八十一巻,天祥地瑞,申の巻,の奥付を見ると,

昭和九年十二月三十日初版発行
昭和三十六年十一月五日再版発行
昭和四十六年七月十八日三版発行
第81巻 天祥地瑞 奥付

  天祥地瑞は,校定版とは表現されず,ただ三版発行となっている。新たな編集者が触ることができない最高教典であり,校定版の「あとがき」に類するものも,入れることができないのである。

この『霊界物語』のうち,『72巻までのもの』と,『天祥地瑞』との違いを理解するには,次の記事が参考になる。新『霊界物語』座談会1, p. 42(月刊「神の国」第343号, 2008年11月号)

中野楊子の発言の抜粋: (大本高槻分所の)中井(和子)さんは『天祥地瑞』の筆録ものぞかせていただいた。『天祥地瑞』では,聖師さまは紋付袴で正座。筆録者の松村さんは,聖師様のご口述が終わった後も,何十枚も連続して口述されたお言葉を筆録されていた,ということです。
塩津晴彦の発言の抜粋: 『天祥地瑞』に校正本はありません。なぜなら筆録も一発勝負だからなんですね。

 『『霊界物語』ガイドブック』のp. 424は天祥地瑞解説の最終ページにあたる。ここに掲載されている「霊界物語余白歌から(十四)」の最後に,次にお歌が挙げられている。

 風の音 窓に聴きつつ 吾はいま 天祥地瑞の校正を為す

3. 大本 天声社から現在刊行されている『霊界物語』について

 https://tenseisha.co.jp/publics/index/20/

 上記サイトは当方のWebサイトと同様,WordPressが使用されており,他の大本関係のWebサイトよりも現代的である。ところが校定版との関係が明示されていない。

 宗教法人「大本」の上記の天声社から発行されている現代版『霊界物語』は,現代社会の試金石を経たものと言えるだろう。聖師口述時代とは違い,校定版を含めて,現在からすると,『霊界物語』には,いわば「差別」用語が含まれている。ある大本幹部が中心になって,反差別団体との係わりの中でこの新版が生み出された。私は,氏が反差別団体から教団の代表として果敢に対応したものと考えている。日本社会の大きな反差別運動のうねりの中で実施されたものである。ただ,校定版の完成後まもなくの外圧による変質であり,残念なことであった。

 この種の改訂は,現代社会である意味,生き残る上で,宗教法人「大本」がなさざるを得ない部分があった。とはいえ,木庭次守だけでなく,ほとんどの大本関係者は,この現代版『霊界物語』に対して否定的であった。『霊界物語』は大本の教えの根幹をなす教典である。時代に敏感な聖師がご存命中であれば,恐らく,この反差別運動に何らかの対応はされたものとは思う。

 王仁三郎は,根本的な神号奉唱である「おほもとすめおほみかみ」の漢字表記「大本皇大神」を,第二次大本事件の後は,「大天主太神」に替えている。天主は「神を意味する日本のカトリック教会用語で,明治,大正,昭和初期にかけてカトリック内部で好んで用いられ,ほぼ定着したが,1959年の教区長会議で「神」の語に置き換えることが決められた」(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)とある。

 王仁DB β版 出口王仁三郎と霊界物語の総合検索サイトで,「大本皇大神」を入力するとヒットするが,この「大本皇大神」が何神を指すのかが,天照大御神との関連で,官憲に厳しく問われた。官憲の論理は稚拙な論理ではあったが,王仁三郎を陥れるツールに使われた。

https://onidb.info/bunken.php?pre=tg&key=%E5%A4%A7%E6%9C%AC%E7%9A%87%E5%A4%A7%E7%A5%9E

https://onidb.info/bview.php?obc=B195503c220203&T1=%E5%A4%A7%E6%9C%AC%E7%9A%87%E5%A4%A7%E7%A5%9E&yure=yes&koumoku=zenbu

 当初,このいわば主神の神号変更は,王仁三郎昇天後に変更されたものと私は想像したのであるが,数日前,確かな信者さんに確認したら,第二次大戦後,聖師から頂いたご神体には「大天主太神」と書かれていたということであった。当方の神殿は目の前にあるが,どうにも確かめる訳にはいかない。その時点で神殿が抜け殻になるように感じてしまう。私は天津祝詞の神号奉唱の際,数日前まで,何故か「大本皇大神」を頭に描き続けてきた。

追記 Jun. 13, 2020 昭和54年4月7日(第45刷)の「おほもとのりと」での取扱いが気になって一昨日覗いてみた。大本教法とタイトルされた十二章からなる文面の第一章(祭神)には,「大本は,天地万有を生成化育したもう霊力体の大言霊にまします独一真神をはじめ奉り大地を修理固成したまえる祖神厳霊国常立尊,瑞霊豊雲野尊その他もろもろの天使を,大本皇大神と仰ぎて斎きまつる」,とある。いつこの文が掲載されたものかはわからないが,聖師が変更された「大天主太神」に対し,いわば,的確な注記がなされていると考える。聖師自らの文が残っているとも考えられる。

 聖師なら,時代時代の「差別」用語には対応されると考えるが,聖師以外の者が小さな頭で考えて差別用語を削除したり代替語で差し替えた時点で,啓示書が大きなダメージを受ける。それゆえ,誰であっても聖師の原本を触ることはできない筈である。校定版のあとがきでは,「カナづかひは、原本の通り、旧カナにしてゐるが、漢字でなくてもよいと思はれるものは、カナにあらためた」とあるが,これすら,問題が残るかとは思われる。何をどう替えたのかのリストの公表は必要である。

 私は,旧約聖書,新約聖書を繰り返し,愛読している。これらには,イエスの言動,つまり福音書以外の中で,名指しでの民族差別,階級差別,女性差別,の表現が見られる。私はこの「差別」表現を時代を反映するものとして興味深く感じていた。二千年に亘る歴史のなかで何らかの改竄に近い操作がなされてきたであろうが,それでもなお,聖書は,啓示の書として,救いの書として認められている。

 『霊界物語』は,王仁三郎自身の口と目と筆で生み出されたものであり,未だ生まれて間がない。可能な限り原本を触らずに,伝えて行くことが現世代に求められているのである。現代版『霊界物語』は,校定版との違いを逐一明示すべきであると思う。その全リストをWeb上などに公開することによって,現代版『霊界物語』も活かされ得ると思われるが。

4. 「王仁校正版」とは

 愛善苑(出口王仁三郎孫の出口和明を中心とする)が発行中の『王仁校正版』は,校定版に対する物足りなさから生み出そうとされたものである。次にそのページのWebサイトとページを転載する。

http://www.aizenen.info/modules/az/index.php?content_id=53

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「王仁校正版」掲載について (月刊「神の国」2008年11月号)

 今年、一月十九日端霊真如聖師昇天六十年、二月三日神聖九十年、三月三日みろく下生八十年、三月七日高熊山人山修行開教百十年と記念行事が続く中、ついに愛書苑は三本柱の一つである『霊界物語』について、聖師さまご校正原本の写しをお借りすることが出来ました。
 この聖師様ご昇天六十年の記念すべき年、愛善苑は信徒の念願であります聖師様のご意志そのままの『霊界物語』を、本誌今月号から、今まで掲載された物語の続きとして掲載させていだだきます。
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 とはいえ,残念ながら,第3巻と第10巻のみしか,公開されていない。しかも,校正版の複写画像に限られている。愛善苑発行の月刊「神の国」343 2008年1月号にはその特集があり,刊行するとのことだったが,残念ながら,進んでいないようである。
 入力作業などや経済的な問題に基づく可能性が高いように思う。木庭はこのプロジェクトが始まった2008年に知ったが,その後は自らの仕事に忙殺され,May 31, 2020の今日まで,この現状を全く知らなかった。

 愛善荘と同様,王仁三郎ドットジエイピーが用意した昭和46年版の霊界物語各号の「ダウンロード」のリンクがある。

5. 現在手に入る霊界物語をネット検索すると

a. 霊界物語刊行会編纂. 出口王仁三郎著『霊界物語』八幡書店発行 1990年代発行

である。古書として手に入れることができるが,下記の八幡書店に問い合わせてみるのもいい。

https://www.hachiman.com/

b. 愛善荘(三代教主出口直日の長女である出口直美を中心とする)に属する「愛善世界社」から発行されている。

http://www.omt.gr.jp/modules/pico/index.php?content_id=101

c. 王仁三郎ドットジェイピー(オニド)

https://www.onisavulo.jp/

 このサイトでは,上記の愛善世界社の霊界物語の電子版に対応しており,広く公開されている。

d. 『霊界物語』の諸本

https://onipedia.info/wiki/%E9%9C%8A%E7%95%8C%E7%89%A9%E8%AA%9E%E3%81%AE%E8%AB%B8%E6%9C%AC

 c.とb.については,校定版のようである。

追記 Jun. 14, 2020: 飯塚さんからの情報であるが,下記のオニペディアに「霊界物語の諸本相違点」が掲載されている。これには上記a,b,cと,初版及び校定版との関連が示されている。

https://onipedia.info/wiki/カテゴリ:霊界物語の諸本相違点

6. 現在手に入る決定版『霊界物語』は

 結局,現状では,最も優れた『霊界物語』は校定版と考えている。これは,聖師時代の生き残りの人々が何らかの形でかかわり,助言もされ,当時の若いスタッフも先輩に学びながら,コツコツと積み上げ得られた成果であった。当方の手許には,木庭次守が黒紐で括った「霊界物語の栞」がある。これは,校定版が二冊ずつ発行され,全国の信者に次々と送付されるのであるが,読者サービスの意味合いもあってか,その付録として同封されたものである。「霊界物語の栞」は,次々と発行され,私は学生時代であったが,わからないなりに引きつけられた。鹿児島市郡元1丁目の前田廣治さんフミさんご夫婦も楽しみにしておられたことを思い出す。

 第1号(1967年8月7日,第1回配本 霊主体従第一巻,第二巻)は,出口うちまる「大本教典刊行にあたりて」,出口直日「み教の尊さ」,桜井重雄「筆録の思い出」,西村光月「エス訳の苦心」,浅井昇「81巻を三まわり ー愛善医師と主婦たちー」,伊藤栄蔵「御親筆の校定本」などの記事が含まれる。全員,存命中にお会いしており,その人となりを感じることができる。後半ほど聖師のメッセージ,木庭次守執筆記事が増える傾向がある。

 結局,現在手に入る決定版『霊界物語』は,校定版との間に違いを感じないところの,5.で述べたa. 八幡書店,b. 愛善世界社,c. 王仁三郎ドットジェイピー(オニド)と言える。

 最後に,このページを書く上で,抑えてきた思いを記す。初めて霊主体従第1巻を朗読した際,文体に馴染めず,辛かった。私の周囲のものは,文体で早々に拒否した。明治時代の漱石や龍之介の文体は,私に違和感はない。現代文に近いのだろう。二葉亭四迷はwikipediaによれば,「1887年~1891年の間に出された写実主義小説『浮雲』は言文一致体で書かれ、日本の近代小説の開祖」であるが,学生時代に読んで,漱石以上に,違和感無く受け入れやすい文体に驚いた。漱石や龍之介はその流れであると思う。それに比べて国木田独歩の,『武蔵野』(1898年(明治31年)、発刊当時の作品名は『今の武蔵野』)(wikipediaによる)は,漢文的または美文的なところが色濃くて,私には入りにくい。『霊界物語』は国木田独歩ほどでは無い。

 聖書も読みにくいが,下記のものはこれまで私が読んだ中で最も読みやすい。日本聖書協会共同訳聖書実行委員会聖書新共同訳―新約聖書, 1987,1988。とはいえ,これであっても日本語とは思えない。かなり翻訳調で読みにくい。

 『霊界物語』が今後,多くの少年や若者などに受け入れられるためには,文体の変更は必要なのだろうと感じている。予言の書であり,そのページ数,行数,文字数に意味があっても,それとは別に,文体を変更した普及版『霊界物語』が必要になるだろうとは感じている。この方法として,英訳やエス訳をして,その後,それを和訳する手法も必要かも知れないなあとは思う。

 Jun. 2, 2020記