はじめに 保津峡谷口,または保津峡谷入り口についてのぼくの言及を,友人は地理学の谷口集落の連想からか,嵐山と誤解した。それを踏まえてこの投稿の英語タイトルを決定した。upper endが重要だ。日本語では地名があるので不要だろう。 防災や土木用語としては請田サイトが使われている。時刻水位月表検索 観測所記号 観測所名 水系名 河川名 306041286606300 請田(ウケタ) 淀川 桂川 しかし驚くほど情報がない。どこかに委託しているのか,サボっているのか。 亀岡の水害を調べ始めると,請田,という地名は使われているが,実質がないようだ。 以上,2026年2月16日。 1. アプローチの選択 請田神社から府道を使って保津峡谷に入ると,かつての山陰線(現トロッコ列車軌道)の上方には大きく切ったと思われる崖面が見える(図1)。この場が大山咋命(おほやまくひのみこと)の丹の海干拓のための主要な工事現場であったとぼくは当初考えていた。 「古代タニハ『丹の海』とその排水プラグを地形発達史から復元 Part 1」関西大学文学論集75-4は本日(2026年3月12日)刊行されたが,この報告では,大山咋命が見た丹の海の湖面の海抜高度が98mであったことを明らかにした。図1の付近は海抜80mだからおよそ落差20mの滝があったとぼくは考えていた。その滝を数十年またはそれ以上の年数をかけて,開削をすることで,湖底は侵食されていったと想像したのである。開削工事については,上記論文のPart 2として発表する予定である。 以上,2026年3月2日。2026年3月12日修正。 この観点ゆえに,図1に見える右岸の岩質を確認する必要があった。元の山陰線,現トロッコ列車軌道の上方にはコンクリートの大きな壁面が見えるので,河原で観察するしかない。 2. 右岸河原に辿り着くには 冬の渇水で鵜ノ川を渡ることができた。図のルートでまずは鵜ノ川の右岸へ。そして,図2に見える堰を図3のように伝って人工島にたどり着いた。高齢でバランスを崩す可能性が濃厚で,堰の途中で,キャラバンからウェットブーツに履き替えた。 図5には,軌道面から一段低いテラスから川への梯子が見えるので,鵜ノ川の流れが早い場合にはテラス面を使うルートもありうると思っている。図7は保津川の本流路でこれが保津川下りのルートを確保している。図1は請田神社からの眺望で,人工島で分割されて,保津川下りの航路が確保されているのがよくわかる。 3. 岩石種は玄武岩か 保津川右岸河床に立つと,左岸の黒色岩石の露頭が見える。なぜか,左岸では節理が目立つ。 アイフォーンのパノラマ機能で図11を撮影した。左手の朱色は請田神社の柵,中央手前にカーブして流れているのが保津川本流,右手のほぼ静水域は鵜ノ川河口からの水域。中央にはコンクリートで固めた人工島がみえる。 図12は,差別侵食で残った枕状熔岩だと思う。図13,14の正面に見えているマッシブな壁面はコンクリート壁である。最下部にへの字の洞穴が見えるがここには人が積み上げた河床礫がコンクリート壁が侵食された結果,露出している。気になって現場に行ってわかったことである。 図15,16は,コンリート壁のすぐ下流側のステレオ写真である。ベッディングに見える。この産状が下流に続くのを左岸から見ていたので,泥岩と考えざるを得ないと考えていた。近接して観察すると,右下がりの「層理面」に間違いなく,節理ではない。ぼくの貧弱な知識だと海洋底の玄武岩とは到底思えなかったのであるが,図12のような部分もあって,海洋底での噴出物の降下堆積物と考えざるを得なくなった。というか,玄武岩であることに安堵したのである。 図17,18は,図16の壁面の一部であるが,チャートも含まれているようである。 図19〜21では熔岩と火山礫・火山灰相が見える。 図19〜23は同じ場所で,図15からすると,200mほど下流のやはり右岸である。 請田神社前(図25)の河床には玄武岩が見えるが,少し上手では泥岩が見えているようだ。府道の露頭では,泥岩にチャートが混入している。 おわりに これから水位が上がると右岸に到達するのは腰まで水に浸かる必要が出てくるかもしれない。請田神社側つまり左岸は道路から簡単に草木の繁る斜面を降りると岩盤に辿り着くことができる。図25の水位観測点の下流側から降りるのが簡単のようだ。(調査日:Feb. 15, 2026) 以上,2026年3月10日。2026年3月12日修正。