夏祭りの前に prep for the 2024 summer fest

はじめに

 また,父の昇天の日が迫ってきた。ぼくも父の昇の際の年齢に迫ってきた。水道の閉栓を亀岡市の水道局に連絡。8月12日閉栓,15日開栓だ。とにかく,昨日はファイナルサイトから始めた。まずは周辺からと考えると進めない。
 フィリピン海プレートとユーラシアプレートの間の歪みによる地震活動が数日前に日向灘ではじまり,昨日は伊豆半島の東側の1923年関東地震の震央付近で地震があった。2011年東日本大震災をもたらした巨大地震が引き金になっている。もう地震間隔からすると一世紀近く遅れている東京湾北部地震が心配だ。地震予知は現在の科学ではできない。単に地震履歴だけで単純に「予想」する。
 このタニハでの作業をいつまで続けることができるか少し心配になってきた。地震のためではなく,年齢のためだが。

1. 神棚

 図1,2のようにまずは神棚の掃除から。

図1 神棚の写真を出して
図2 神棚の掃除だけど

2. 長机にお供えの準備

 図3のように,東之間の掃除をして長机を並べて,三宝を配置した。図4のように,手前は祓戸主とお玉串入れを配置,中央の6皿は三神と産土さん,最奥6皿が父などのお供え。

図3 長机に三宝の準備
図4 皿を載せて

3. 神饌準備コーナー

 このコーナーには断水に備えて水タンクに給水した。上掛けしていたタオルは洗濯のために自宅へ。

図5 開始前
図6 皿は出した
図7 三宝に食器を

4. 神棚の照明

 図8, 9の蛍光灯の更新は2020年,2021年か。新たな照明器具に更新した。図10は初代のもので利用頻度が低いためだったであろうが,遂にダメになったか。蛍光灯を替えても点灯しない。グローランプは欠品。ケーズ電気で買って明日,持参する。

図8 祓戸主コーナーの蛍光灯
図9 大神さんの蛍光灯
図10 父などの蛍光灯
図11 交換するLED照明

コイズミ LED流し元灯 直付・壁付両用型 昼白色 BB16721PB
 Amazonに2024/08/10注文した。明後日Aug. 12, 2024,到着予定。Amazonで,3300円。もう蛍光灯は照明器具としては無くなっている。メーカーがコイズミなので,何とか純中国製ではない。火災の可能性があるので,まあ,純中国製は避けた方がいいと思っているが,さて。横幅が現在のものは33cm+だが,この製品は48cmにであるが,これは仕方がない。設置は可能だと思う。電気工事要だが,まあ,問題ない。すでに図8, 9はぼくが交換した。雜い。

5. 奥田って?

 図12のメモを神殿に残しているので意味があるのだろう。誰が言ったのか,年次がない。図12の資料のそばに図13, 14のはがきがあるので,奥田のフルネームがわかる。この事件の年次は平成3 (1991) 年とわかる。父のこのメモは風化するので,ここに掲載しておく。

図12 父のメモ
図13 表書き
図14 裏書き

6. タニハ開所式

 図15の,開祖,聖師,二代教主への往復はがきに書かれた招待状があった。二時期あるようだ。切手代金が40円の時期と41円の時期である。最初の方が,日本博物館協会第3代会長の徳川宗敬さんや上野恩賜動物園の初代園長古賀忠道さんが出席された開所式のものだろう。
 図16, 17が何故残してあるのか,ぼくは理解できない。

図15 開祖,聖師,二代への招待状
図16 園遊会の招待状 1992年
図17 本文

7. 短冊とご神体

 図18は聖師昇天の後,父は二代教主のお側にいて,二代教主の教団に関してのお考えをお聞きしている。それは昨冬に発見して,ぼくは自宅に持ち帰った。かなりの文字数で解読も難しく,数ヶ月かかるかも知れない。
 発表の時期ではないと父は考えてのことだろう,生前は発表しなかった。父が昇天して三十年,発表しても問題無いだろうと思っている。他の仕事もあるが,早くまとめたいと思っている。図19はきわめて素直で達筆なので,三代教主筆のご神体かと思われる?

図18 二代教主の短冊
図19 三代教主から得たご神体?

8. 聖師拇印入りの短冊

 かなり風化している。図20の短冊は左端のものを除いて,切断されている。どこから父が取得したものかは,わからない。左端の封筒には聖師の拇印あり,というようなメモがある。それぞれの短冊の断片の裏にはすべて,聖師の拇印がある。聖師の拇印の特徴である,中心に小さな穴が見られる。

図20 聖師作の短冊
図21 拇印
図22 拇印

9. いづとみづから出版

 父は戦後,精力的にガリ刷り,邦文タイプ印刷の,マニュスクリプトを作成している。熱心な信者さんには配付していたようである。そのうちの2册を,いづとみづ舎が出版している。六十年代末以来の大本本部のように父の名前を削除してではなく,「木庭次守編と編集メモ」が削除されずに出版されたのである。さらに,次のものを手渡したので,この2册とともに収納されているのであろう。父は嬉しかったに違い無い。
 そのマニュスクリプトも表紙(図23)とあとがき(図24)を次に示す。ぼくの経験からすると,ぼくが現在作成中の原稿と関係がある(父が教えている)のだろうから,自宅に持ち帰った。タニハに来るたびに必要な資料が示される。

図23 『霊界物語』余白お歌集
図24 昭和三十年十月十七日 あとがき

10. 日本タニハ文化研究所之印

 本サイトに記しているが八月一日のWordPressの会合に出るべく,ぼくの名刺をラクスルに注文してその三日後ぐらいに届いた。極めて廉価でよく出来ている。それで数日前にタニハの蔵書印をラクスルに注文することを思いついた。デザインを考えていて,タニハ碑の徳川宗敬(日本博物館協会会長,伊勢神宮大宮司)の揮毫でもiPhoneで撮影しようかと思って,昨日,タニハに出かけた。
 ところが,神棚から図25が出て来て,図26のタニハ印を使えば良いということになった。これも父がぼくに伝えたようである。そういえば,この印は見たことがある。ツゲ材だったような。どこにあるかわからない。今朝確認したが,父の最後に持っていたカバンにも無い。木庭の印はカバンに中にあった。

図25 歌会出品歌
図26 日本タニハ文化研究所之印
図27 之印を篆書では

白舟篆書(はくしゅうてんしょ)の詳細・ダウンロード | 白舟書体ならJ-Font.com
このサイトでは,日常的な文字を,篆書表示してくれる。ありがたい。「之」が図26と図27で異なる。わからないが,図27を採用したいと思っている。
白舟篆書(はくしゅうてんしょ)の詳細・ダウンロード | 白舟書体ならJ-Font.com
このサイトでは,日常的な文字を,篆書表示してくれる。ありがたい。「之」が図26と図27で異なる。わからないが,図27を採用したいと思っている。図28にはフルに。

図28 日本タニハ文化研究所之印

 聖師は明治4 (1871)年旧7月21日誕生である。父は正しく平成三年旧七月十二日(聖師生誕)に記しているのである。

以上,2024/08/10。(タニハでの作業は2024/08/09)

11. 開祖,聖師,二代

 図29には開祖の遺影が。当初,ぼくには金属に印刷されているように見えたが,ガラス地の乾板写真である。1884年にオーストリアの化学者 Josef Maria Ederによって改良された乾板写真である。ふと考えて見ると,プリントではないので,この写真はオリジナルである。つまり,開祖がカメラのレンズを透してこのガラス版に直接写っているものである。かなりの時間(数分?)を要しての撮影であったと思われる。
 図30には二代様から父が手ずから頂いた聖師存命中に飲み残された煙草。図31には父が二代様から頂いた拇印。女性らしい拇印だが,拇印中には右手に見える模様が見える。

図29 開祖遺影
図30 聖師さまが飲んでおられた煙草
図31 二代様拇印

12. 楽焼破片,フィルム,天皇から返事

 図32はおそらく高熊山で拾った楽焼破片ではないか。父と高熊山の参拝をした際に巌窟前の棚上で父がここから耀盌破片が出ると言っていた記憶がある。本人が拾ったか質問したような気がするがその回答は無かったような? この破片には聖師の指押し跡がハッキリと残っている。図33はフィルムである。カビはない。図34は昭和天皇がオオミズナギドリの研究者であり,その研究を地元の高校だったかの教師が研究をされていて,その結果をタニハから出版し,その書籍を昭和天皇に献上。天皇の手に渡ったことが記されている。

図32 父が集めた耀盌破片
図33 フィルム
図34 オオミズナギドリの論文を献上

13. 神殿とその周辺の掃除完了

図35 正面左手
図36 正面
図37 正面右手

 父の神棚コーナーのLED照明器具が,本日2024/08/12午前中,Amazonから届いて,開封して準備完了した。一昨晩注文したものである。早ーい。神饌コーナーから回収した六本のタオルの洗濯も完了しているので,明日持参だ。

以上,2024/08/12記。2024/08/11実施。

14. 父コーナーLED照明設置

 図11のLED照明と交換した。これだけの工事で,2024/08/13をほとんど費やした。

図38 古い蛍光灯
図39 新LEDと比較
図40 屋内配線からの電線 黒と白のカバー

 図41の図面のストリップゲージ strip gaugeの意味が昨日の作業中はわからなかった。いま,ネットで調べたら,屋内の配線の電線の樹脂被覆の剥く長さのことらしい。図42の赤白の電線が接続されている白い直方体の部品があるが,この部品の上縁に ← 12mm -,と表示されていて,この長さが12mmということらしい。屋内からの配線の先の樹脂を12m長に剥く必要があって,図43に見えるメジャーで計測した。メジャーが安定しないので結構,長さを計るのは難しかった。この図42の,← 12mm -,を使えば,便利だろう。

 すでにこれが設置されていて,屋内配線を抜く時に,図41の説明のように,図42の左から右を見た時に,ハの字になっているスリットに幅6mmのドライバー(図43にメジャーでドライバーの幅6mmを確認している)を刺すと,ケーブルが抜けやすくなるというのだ。
 ところがハの字のスリットにドライバーを差し込んでも,屋内配線からの電線が入らない。これで1時間半ぐらい格闘していたのである。図42にスリットの奥の光った銅部品が見えるが,図43に見えるこの直方体の側面の穴から,爪楊枝を差し込むと,この銅部品が少し奥に入ることを確認したりしていたのである。

図41 図面
図42 ストリップゲージなるもの
図43 電線の接続穴2個

 ところがである。新たに屋内配線からの電線を押し込む必要は無かったようなのだ。押し込んでも,このスリットの銅は動かないのだ。屋内配線からの電線は銅の固い1本のしっかりしたもので,天井裏からの伸びている屋内配線は固くて,この言わばバネ効果で形としてはスカスカの穴に電線を「固定」できるのである。不安ではあるが,である。そして,図40に見える電線の黒を上方,白を下方,に配置したが,点灯しない。そこで入れ替えると成功したのである。

図44 屋内配線の電線を右の穴につっこんだ
図45 電線を交替してオーケー
図46 使ったツールなど

 図47, 48は左手(父)のコーナーが点灯している様子であるが,何と図49にはスウィッチが二つあった。下の方が,左手のコーナー用で,このスウィッチをOFFにしていたために,蛍光灯が点灯しなかったらしいのである。大きな額の後のスウィッチを手探りでON,OFFしていたので,右手のコーナーだけONにしていたようなのである。年一回もこの左手のコーナーは点灯しないので(ロウソクでちょうどいいのだ),忘れていたのである。まあ,前のはシェードが壊れて無かったので,更新されて良かった?

図47 完成だ
図48 御簾を戻した
図49 上は右手のコーナー,下は左手のコーナー

以上,2024/08/15 (工事は昨日)