亀岡盆地と愛宕山から嵐山周辺の20万分の1地質図 1:200,000 geological map of the Kameoka Basin and Mt. Atago to Arashiyama area
はじめに
このようなテーマは奇妙ではある。異なった時期の地質図を見比べるということをこれまでほぼしていなかったので,違和感とともに,自分自信の岩石鑑定力の非力さも感じた次第である。研究テーマは,古代の亀岡盆地の「丹の海」の干拓についてであり,すでにPart 1は論文化し,Kindle版としてもこの夏,発行した。
古代タニハ「丹の海」とその排水プラグを 地形発達史から復元: Part 1 「丹の海」復元 (教養)
木庭元晴 (著) 形式: Kindle版
1. 20万分の1地質図とシームレス地質から矩形域抽出
昨年秋から,亀岡盆地から京都盆地に抜ける桂川の峡谷「保津峡」への入口付近の地質については,歴史地理学または地形学的な関心が向いている。現地調査を2回実施して現在発行されている地質図と対照したのであるが,その違いに驚く結果となった。産総研が公開している「日本シームレス地質」とは一体何なのかも,ある程度,読者の理解に役立つかもしれない。

図1に見える範囲から,研究対象範囲をできるだけ絞りたい。そこで,20万分の1地質図『京都及お大阪』上で,研究対象地域を二つの子午線と二つの緯線で区切った。それが図2である。
この図2では,二つの子午線と二つの緯線,つまり,4本の線分によって形成された矩形範囲(135°30’〜42’E,34°59’〜35°07N)を求めている。元の20万分の1地質図の画像をみると,区画北縁の緯線は水平線から時計回りにおよそ0.15°回転しているので,その分,地図画像全体を0.15°反時計回りに回転させた。ところがこの図2の黒色の点線を見ると,矩形南縁は時計回りに回転している。つまりは,地勢図の北縁を0.15°反時計回りさせたのは意味がなかったということであった。経緯度座標系図面を平面座標に揃えることはそもそもできないのである。
この区画は,古墳時代前期に広がっていた亀岡盆地の「丹の海」とその干拓に関連する地形,干拓を実行した秦氏の拠点である嵐山とその米作灌漑域がギリギリ,カバーされている。



さて,図3の範囲を図1から切り出したのが図4である。幾何学ではなくて,『京都及大阪』地質図とシームレス地質を比較対照して,矩形像を地図の位置の観察から得た。図1のシームレス地質からは,地球座標系の位置情報を得ることができないためである。図1と図4に色合いの違いはあるが,これは彩度を調整したためである。
以上,2026年9月7日。
2. 20万分の1地質図(図3)とシームレス地質(図4)の違い
今日(2026年9月14日),研究の観点では優先投稿であるが,やっとこの投稿に戻ってきた。20万分の1地質図(図3)とシームレス地質(図4)を比較したい。
まずは不思議というのが感想だ。断層の位置も違うし,地質境界も違う。シームレス地質(図4)はかなり粗野な表現になっている。差し当たり,ぼくが注目するのは南東部の,亀岡盆地から京都盆地をつなぐ保津川峡谷だ。20万分の1地質図(図3)では河道は白抜き,シームレス地質(図4)では黒い曲線で示されている。
さて,実はシームレス地質(図4)は,井本伸広ほか(1989):5万分の1地質図幅「京都西北部」地質調査所,と類似している。しかし,酷似しているわけではない。保津川峡谷では図4には絆創膏が河道を横断する形で貼り付けてある。亀岡盆地から保津川峡谷に最初に入った部分では,緑色つまり,海洋性玄武岩,次にはオレンジ色つまり,チャートなどと続く。5万分の1では,海洋性玄武岩にあたる緑色岩はより下流部で横断している。
図3の地質図では絆創膏を貼ったような表現はなく,いわばロジカルに妥当な地質分布図になっている。つまり,シームレス地質図は,2026年発表の20万分の1地質図とは無関係と考えて良いようである。井本伸広ほか(1989):5万分の1地質図幅「京都西北部」の方に属しているのである。ただ微妙に異なっているが。
図3は,2026年発表の20万分の1地質図の一部であり,より最新の成果が反映されているのである,それゆえ,素人としては,図3の方を採用すべきということになる。この地質図は産総研発行のもので,産総研は複数の機関を統合したもので,この前身の一つが地質調査所なのである。それゆえ,2026年発表の20万分の1地質図は,同じ組織が過去出版された5万分の1地質図などを踏まえて発行されているのである。
というわけで,図4は無視してよく,図3にフォーカスすべきということに。保津川峡谷=保津峡のルートが繰り返し横断するのは,南にジュラ紀の雲ヶ畑コンプレックス(Jkc)のチャートchert層,北に同玄武岩(溶岩及び火山砕屑岩)とドレライトdolerite(粗粒玄武岩)層のベルトである。京都盆地に出る前の数キロメートルは玄武岩層の壁が直線状に続き,保津峡の流れをコントロールしている。
このベルトの幅は図3のスケールで見ると,30〜50m幅である。保津峡谷鵜ノ川口から峡谷右岸基盤岩露頭へのアプローチ で見たようにこのルートで確認もしたいが,請田神社側の鳥居付近から確認することが可能と思われる。このルートではチャートしか確認できていないが。このルートでは受けた神社から離れた場では,鶴ヶ丘コンプレックスの泥岩及びで泥質混在岩(チャート,砂岩の岩塊を含む)(Jtx)になっている。
保津集落の東端から請田神社まで(道路沿い1.3kmほど)には建物はないが,唯一,大きな鳥居があるが,Google Earth画像では木々に隠されているし,2万5千分の1地形図には,鳥居の地図記号が示されていない。そういう時代になっている。道路壁面は人為的露頭が続いており,特に鳥居から請田神社沿いでは地質の観察が可能なので,鳥居そばに駐車して請田神社まで徒歩で観察することになる。森林ゆえにGPS精度が落ちるので,特に地質境界のプロットのためには,LiDAR測量を実施した方が良いだろう。まだ蚊にやられる時期なので,十月に入ってからが妥当だろう。鵜ノ川河口から保津川右岸を再調査するのもいいかと思う。
なお,3度目の地質調査に出かけた結果が出れば,この投稿に追加する。
以上,2026年9月18日記入。


