比沼の真名井(京都府京丹後市峰山町久次)の大饗石(おおあえいし) a big table rock for a banquet at Hinunomanai, the former Grand Shrine of Ise
はじめに
この図1は,久次岳・(東西)権現山を久地より周回 YAMAPの情報から拝借した。
出口三平さんからこの大饗石 a banquet rock table,参拝のお誘いがあり,所在地などを調べてみた。ネット上でおおよその位置が示されており,まずはネット情報に頼って位置を机上で整理することにした。現地に行っても,山中のことで,必ずしもGPSの記録は信用できないので,3D scannerの一つMetascanでルートを測量してきたいと思っている。
この大饗石全体の測量も3D-scannnerで実施したいと思う。岩石を割ることはできないので,苔の隙間から想定できる可能性がある。岩の測量だけでなく,この周辺の立地から,運搬?されてきたルートなども観察したいとは思う。根付きでないことはまあ,間違い無いだろう。このような観察結果も,ここに示したいと思う。
追記 Dec. 6, 2022: 大饗石を,おおあえいし,と読むか,おおみあえいし,と読むか,を,大饗石に関心を持つようになって以来,放置してきたが,ここで決着を付けたいと思う。先に結論を言えば,おおあえいし,である。大饗石を,おおみあえいし,とは誰も読めない。
精選版 日本国語大辞典「大饗」の解説,によると,だいきょう,たいきょう,おおあえ,おほあへ,である。おおみあえ,とは読めない。それで,おおあえいし,としたい。
古事記全文検索,でみると,大饗,大御饗,いずれも存在するが,現在の漢字表現を優先するのである。
1 想定される位置
まずは,綾部から比沼の真名井神社までのGoogle mapでのルートを示す。ぼくは大阪なので,まずは綾部まで行く必要があるが。比沼の真名井が,大陸からの侵入ルートになっている天橋立と,かつての豊岡の内海との間に立地するところは興味深い。
京丹後市峰山町久次から大饗石までのルートを知る上で参考になるのは,2件がある。一つは,YAMAPの「もと」さんの2021.7.1のトレッキングであるが,GPSを主とする記述なので,次のyoutanさんの方を使いたい。
悠但訪: 大饗石 ルートマップが提示されている。ブルーのメモは当方のものである。東端に近い久次(ひさつぎ)公民館(〒627-0054京都府京丹後市峰山町久次)は地図情報としては現在臨時休業となっているが,Youtanさんは駐車場に利用している。現在の地名は,ひさつぎであるが,おそらく,くし,ではないか。奇魂の「くし」である。
図2のマップは国土地理院の25000分の1地形図がベースになっている。地形図凡例によると,細い黒線は1〜3m幅の軽車道である。地形図では,図2のyoutanさんによって塗られたマゼンダ色のルートは,a地点で途切れている。さらにこのマゼンタ色に塗られた道路の南そばには,赤色のルートが追加されている。これらのルートについて詳細な説明があるが,この道はおそらくyoutanさん作である。ルートの復元方法はyoutanさんのサイトには記述されていない。なお,地図上のスケールは,地形図のスケールと比べると500m長のようだ。
youtanさんの記述では,a地点より西方も林道が続くが,(おそらく台風による)倒木が邪魔するようだ。youtanさんのトレッキング日は2021年5月23日になっているので,現在でもほぼ同様だろう。iPhoneアプリGeographicaで大饗石のポイントをマーキングした。その際の経緯度表示は,35°35’42.49″N, 135°00’49.31″E, で,海抜高度は250.0mである。GPSは山中では信頼しにくいが,跳びなどを削除して,このルートマップが作られたことであろう。
Metascanによる測量が意味をなすには,国土地理院のランドマークが必要である。この測量にはかなりの時間が必要なので,できるだけ距離を少なくしたい。とすると,157mの独立標高点(図2のd地点)ということになるだろう。独立標高点には,標石のあるもの(標高値が0.1m単位)と標石のないもの(1m単位)があるので,この157mのものには標石がないので,地形で大雑把に判断することになる。まあ,この157m独立標高点を使おう。図2の「157m峰」として▲が示されているところである。地形図では図3のように「・157」とされている「・」に対応している。
以上,Nov. 9〜11, 2022記。
2 ルート決定
悠但訪: 大饗石を参考に以下にまとめたい。
1 図2の久次公民館の駐車場を使用する。休館中なので何らかの状況判断をする必要があるかも。
2 図2の林道c地点は,この付近の最も高い屈曲点である。
3 図3のc地点から,d地点,つまり独立標高点・157に向かう。
4 c地点からSSE方向に50mつまり,31複歩(1複歩=1.6m)ほどの最も高い部分がこの独立標高点でにあたるのであろう。
5 このd地点(・157独立標高点)から,林道のc地点に戻り,b地点(四叉路)で最も広い林道を選び,a地点を経て,「太い管が埋設」,「丸太橋」,「小池」を経て「尾根の背」に達する。ここで赤い道と合流する。「尾根跨ぎ」から谷筋に戻り,大饗石に辿り着くことになる。
youtanさんの写真入りメモをプリントアウトして持参した方がいいだろう。
3 地質図では大饗石を地山としているようだ
本日Nov. 20, 2022,午後5時前に峰山町のホテルKissuien 到着。日曜日は夕食なしだそう。近所の食堂に,午後8時頃に行こうかと思っている。このホテルの周辺散策を見ると,峰山町は野村克也の出身地らしい。氏ゆかりのお店として「かさい食堂」がある。スナックも多いけど全く興味なし。今電話でフロントに聞いたら休日は営業していないのが半分ぐらいか。午後9時閉店だから7時半ぐらいにはホテルを出た方がいいな。
結局,峰山駅に接した菊乃家に行った。刺身定食と生ちゅう。50歳ほどの若夫婦の奥さんの話ではかつては敷地が3倍ほどの駅前旅館だったらしい。旦那は養子さんだな。おばさんのお父さんが今も親分で調理している。ぼくの母の里も山代温泉の旅館をやってたなんて話して,それなりに,お話ができたのである。雨が結構降っていて,ホテルからこの食堂まで辿り着くのも疲れてしまった。で今ホテルで,この節を書いているのである。
大饗石を何故か,花崗岩と思っていた。それで,何となく大陸から運搬されてきたのではと思ったりしたのである。無知そのもの,丹後半島がほとんど花崗岩からなるということを完全に失念していたのである。
図4の左図は 地理院地図 から,右図は 20万分の1日本シームレス地質図 から得たものである。スケールをほぼ一致させている。よーく見ないとわからないが,両図に,久次岳の頂上そばに赤い△を示している。底辺の左端は久次岳山頂,右端は行政区画の久次の代表点である。地形図の方は検索した場合に青いフラッグが付加される。そしてこの底辺を成す△頂点の残りの北の頂点は,図2からおよそ大饗石の位置にあたる。ぼくが確かめた訳ではない。図4の右図をよーく見ないとわからないが,実はこの大饗石付近は,ちっちゃく花崗岩域になっているのである。デイサイトがここでは広く分布しているが,点的に,花崗岩が見えるのである。花崗岩は古第三紀で,デイサイトが新第三紀だから,深成岩である花崗岩がほぼ大気に近い場所まで上昇して後にデイサイト質熔岩が流れて形成されたということになるが,この大饗石付近はもともと地形的に高い位置にあって,現在,かつてのデイサイト質熔岩を吐き出した火山が侵食されて,深成岩が露出しているというようなことになる。地質図を書いた人はそう考えたのであろう。
もしこの点的な花崗岩域が大饗石にあたるとすると,地質図を書いた方は,人工的な構造物を地山と過ったのである。あろう,ではない。まあ,この誤解からも,大饗石が花崗岩からなることは間違い無いと思われるのである。
ただ,明日,大饗石に行って,石と地山の境界部での地質の違いを確認したいとは思う。タワシを持参したので,目立たないところで,両方の地質を確認したい。まあ,地山を削って,このような構造物を作ることもありうるとは思うが,花崗岩域を探し当てて,この部分に応じた構造物を作るというのはかなり困難な仕事だ。まずは,大饗石が花崗岩かどうか,そして花崗岩の場合に,地山との関係を明らかにする必要がある。
以上,Nov. 20, 2022記。
4 第1回: metascanによる独立標高点・157から大饗石までの測量の筈が
Go-to-travelを初めて体験。宿に到着してコロナワクチン三回接種証明をみせて成立。ホテル代金3割引ぐらいで,旅行クーポンというのか,さらに6000円を貰った。意味わかんなーい。このKissuien Hotelのレストランは日曜日は営業していないので,雨のなか,JR峰山駅に面する菊乃家(図5)に行った。刺身定食と生中で2000円。奥さんによれば,かつては駅前旅館で敷地も現在と比べるとかなり広かったらしい。当方の母の両親なども石川県の山代温泉の旅館をかつては経営していたが破綻したことなどをお話した。言わなくて良いのに。地方都市の零落が感じられた次第である。
図6,7はホテル前の風情だが,調査当日の朝で,朝食を頂きながら目の前の石垣の岩質が気になった。花崗閃緑岩のようだ。大饗石の岩質が気になっていたので,まあ,啓示を受けたような印象であった。
久次公民館への途中のコンビニでランチになるものを購入しようと考えていたが,結局,公民館まで一つも店が無かった。昨晩,菊乃家に行く途中に見たスーパー西垣と逆方向だったことが禍した。ホテル前を通過してこのスーバーで買い物を下。昔みた菓子類があった。店内は何か寂れているが図8のように駐車場は買い物客の車で一杯だ。往復40分ほどだったかで公民館に戻った。図9の中央に我が愛車のノーズが見える。比沼麻奈為神社の案内板が左手に見えるが,この看板はカーナビで進むと正面に見える。カーナビでは峰山町久次の主要部でしか検索できなかった。この駐車場をお借りできたのはありがたかった。フロントガラスのそばに久次岳を登りに行くというメッセージ(日付付き)を書いた名刺を置いて,久次岳の中腹の大饗石に向けて出発した。
ちっちゃな集落である。石垣の構成岩石をみたりした。安山岩や花崗閃緑岩,さらにはデーサイトがみえる。狭い用水路の側堆はマサ的な砂で構成されている。
さて,図12は登る前,図13は下山時の午後5時前のゲート。厳重にロックされていて,動物というより人間の遮断柵である。登山者やハイキング客?への配慮は全くない。柵は一面に張られていて,抜け穴がない。イノシシ除けが中心か。碍子付きの電線も張られている箇所も多々あり,サル除けにもなっているのか。
図14〜16はゲートのそばの人的崖である。図15のように簡単に棚を造成できるので,その上に植林されている。この形は,後に示す昭和初期以来の植林地でも採用されている。
図17の砂防記念碑では道の分岐はないと考えて良い。道なりに進む。「お不動さん」の道標は2箇所あり,最初のものが図18である。この日,21日は,右手の道を取った。yotanの案内では,最初の「お不動さん」のところで,「『お不動さん』の石標に従って,左の道を進んでいきます。」,とあり,次のコマでは,二つ目の「お不動さん」の石標が出てくる。「林道は正面へ続いていますが,『お不動さん』に立ち寄るべく,左前方の道を進んでいきます。」,とあって,ぼくは,yotanさんは「お不動さん」参拝の意図があって,このルートを取ったと誤解した。それで,図18の最初の「お不動さん」の石標で,右手の道を選んだのである。図18の右手の白い塔は,昭和初期以来の林道であることが示されている。図2のyotanさんが独自に描いた赤線を避けて,地形図に元々描かれている道,つまりマゼンタ色の道をぼくが選択したと考えた。
以上,Nov. 23, 2022記。
さて,図20の橋までは間違い無く,林道であるが,その後,続かない。人工的な棚上の植林地はフラットで,林道に見えてしまうが,途中で消失する。図21や図22のように林道に見えるが,これらは植林用の棚に由来するものである。
この付近の道沿いの水路には真砂状の堆積物が見える。礫は図24や図23のように水路壁に積み上げられた礫が崩落したものである。言い換えると,水路底は基本的にマサ状の砂の堆積が主となっている。図23の溝の真砂状堆積物を分断する礫も,右手の石垣の崩壊によるものである。
道に迷ったあげく,結局,図25のように,図18の最初の「お不動さん」の道標に戻った。この経験で,図25の左の道が地形図の道であることを認識した。図26は二番目の「お不動さん」で,この後を振り返ると,道が二股になっていることがわかり,この交差点が,yotanさんの四叉路であることがわかったのである。yotanさんが追加した赤線道は,この四叉路を振り返って見える道のことであった。今回の登山とは全く関係のない道である。
この図26の右手の道が地形図の道である。この道を進むと,図27付近が地形図に描かれた道の終点で,さらに先にこの道は延びていて,図28はyotanさんの太い管の埋設場所,図29はyotanさんの一つ目の丸木橋。
さて,奥に進むと,倒木域の密度が高くなる。図30〜図32。
図33〜38には,現植生のcreep現象が多々見られる。図36〜38をよく観察するとわかるが,水平方向の幹長は5mに達するものも見られるのである。この観察は,大饗石そばのデイサイト落石上から見たものである。大饗石のLiDAR測量は,この21日に実施した。この結果については,後に,翌日22日の第二回のものもまとめて示す。
図39〜41は下山中に見えたもので,図41は太い管付近から降りたところの景観である。
以上,Nov. 24, 2022記。
5 5万分の1スケールの地質図の確認
20万分の1地質図では粗くて,5万分の1地質図で確認したい。5万分の1,2.5万分の1地形図の新旧緯度・経度対照表(索引図) を参照する。20万分の1地勢図名は「宮津」で,5万分の1地形図の地図番号は宮津15で,名称は「宮津」であることがわかる。
別件ではあるが気になっていることがあり,地域は違うが「三津地域の地質」によれば,p49「本地域内では高田流紋岩類灰ヶ峰層のデイサイト溶結凝灰岩(H4d及びH6d),流紋岩溶結凝灰岩(H5r及びH7r)及び呉花崗岩を対象に採石が行われ,呉花崗岩の風化部を対象に真砂採取が行われている」とあり,真砂土というのはデイサイトでは形成されないようである。日本の地質学では,英国の英語 “dacite |ˈdeɪsʌɪt| noun [mass noun] Geology
a volcanic rock resembling andesite but containing free quartz.”が使われているようで,表現は,米語デーサイトではなく,Queens English デイサイトが採用されているようだ。
地質調査所の地質図は,「城崎・宮津 5万分の1:表層地質図,であるが,久次岳周辺は空白になっていて,使用できない。次の図42では,公開画像ファイルが極めて薄い表示のために彩度と輝度を上げて示している。
幸い,1990年の土地分類基本調査図の一つ,地質図があった。5万分の1都道府県土地分類基本調査(京都府)上にある。5万分の1土地分類基本調査(説明) GISデータ (表層地質図、土壌図)も提供されているが,残念ながら宮津図幅については無い。KMLファイルは,G空間情報センターで提供されていて,Google Earth上で,3D表示が可能である。これについては,後に紹介したいと思う。
図43では,土地分類図から画像データを示して,22日のトラッキング(図45)に基づいて,大饗石もプロットしている。この図から一気に大饗石の地形学的な意味が理解できるようになった。この図幅について,説明しよう。久次岳を含む最も標高の高い位置に,切畑凝灰岩層上部がある。そしてこの図43北部の谷の部分には切畑凝灰岩層下部が見える。堆積時代は新第三紀中新世だから地形と地層をそのまま対応させることは出来ないが,それでも切畑凝灰岩下部が上部と比べると,元々,より低い位置に堆積していたように見える。この凝灰岩周囲には,花崗閃緑岩が見られ,さらに,この周囲には粗粒黒雲母花崗岩が見られるのである。いずれも白亜紀の深成岩ゆえに,中生代白亜紀の古島弧が付加された結果,現在,地表に露出しているのであり,第三紀火山活動による堆積物の基盤岩を構成しているのである。
この図43と,シームレス地質図(図4)を比べると,結構の違いがある。図43では花崗岩二種が区分されているが,図4では日本列島の統一的観点が重視されており,花崗岩の岩質区分は重視されていない。併せて花崗岩となっている。改めて考えると図43の花崗岩区分は奇妙な印象がある。マグマの分別過程での結果になる筈であるが,そのままは理解できない。花崗岩の時代は図43では白亜紀,図4では古第三紀になっている。図4では,現在の年代測定研究の成果が組み込まれたものであろうから,図4の時代区分の方が妥当であろう。成因としてプレートテクトニクス研究での古島弧の観点に変わりはない。図43の切畑凝灰岩の観点を超えているのが図4である。図4の観点の方が当方が垣間見た岩塊の岩質に合っている。図4では,デイサイトおよび流紋岩質の熔岩または火砕岩となっていて,図43の凝灰岩という限定よりも,より多様な出現形態を反映している。図43も図4も,火山活動の時代は中新世としており,変わらない。
図43での大饗石は,地表標高の上方の切畑凝灰岩層上部と最短水平距離で500m余りにあり,大饗石などの岩塊は近隣の凝灰岩層が滑り落ちたものということになる。大饗石の北西域は幅1500mほどの凹所があって,更にこの北西側には急崖が形成されている。シームレス地質図(20万分の1)から想像したものとはかなり異なる結果となったが,このシームレス地質図は1990年発行の土地分類図よりも新しい成果が組み込まれているとは思われるが,土地分類図の地質配列の方がより納得のゆくものではある。地質は,植生や土壌などの被覆があるので,悉皆的に求めることは極めて困難であり,地形から地質を類推することも実施されていて,それが過った結果を生み出すことも在って,地形学的に納得のゆく地質図が必ずしも実際の地質を反映しているかどうかは解らない。大饗石の上面がほぼ水平なのは,熔岩ではなくて,凝灰岩内のダイアステムや層理面に由来する可能性が高いのだろう。
5’ Nov. 29, 2022追加: 20万分の1「宮津」2022年改訂版の成果に基づくと
ネット検索過程で偶然,20万分の1地質図「宮津」図幅の改訂版は本年に出版されていることを一昨日に知った。辻野匠, 2019.丹後半島の中新統北但層群の層序と構造. この文献から次の図幅情報を検索した。
中江 訓, 辻野 匠, 小松原 琢, 高木哲一,宮川歩夢, 2022.20万分の1地質図幅「」宮津」(第2版).
この新たな研究成果を確認したい。この図に大饗石のGPS経緯度情報位置をプロットしたのであるが,久次岳に極めて近接した位置になってしまった。この図から想定される久次岳山頂の経緯度も求めたが,明らかな誤りであった。つまり,この20万分の1地質図の位置精度は大饗石の経緯度をそのままプロットができない精度であるということである。これを理解するのには他の地図学的アプローチが必要であった。「20万分の1地質図」をぼくのような目的のために単純に使うことはできない,ということである。この図を元に今後,20万分の1のシームレス地質図が更新される筈であるが,何らかの図学的な処置が実施されるのであろうか。おそらくそういう処置は無いのではないかと思う。それ故に,一般に,20万分の1のシームレス地質図を使う場合には注意が必要ということである。かつて,スケールが重要だと,東北大大学院在学中に,鹿児島大学の服部信彦先生から頂いた年賀状に記されていたが,こういうことも含むお教えであったと思う。この20万分の1地質図「宮津」改訂版の内容に入る前に,GE上での作業を示したいと思う。
iPhone 12 Pro上のGeographicaでの大饗石のウェイポイント値は3点,独立に得られたがその平均は,
(35º35″37.173″N, 135º00’45.760″E)であった。久次岳の山頂についてはGoogle mapで検索してその山頂情報から求めたが,(35º35″32.171″N, 135º00’25.041″E)であった。
GE対応のKMLファイルは,/組織国立研究開発法人 産業技術総合研究所地質図(kml)宮津 にある。図中の黄色のピン目印4点の上端近くは,久次岳で,図43aのスカイラインを構成している。この下方の2点はGeographicaで記録したトラック上のもので,峰山町久次公民館から久次岳そばの大饗石である。久次公民館そばのトラックから外れたものは,比沼麻奈為神社である。右下のスケールは読めないが700m長にあたっている。このトラックはGeographicaからGoogleEarthKML出力したものである。
この地質区分は土地分類図に従っている。つまり,灰色の久次岳を含む山陵部は切畑凝灰岩層上部,黄緑色はその下部(安山岩質凝灰岩,凝灰角礫岩,凝灰岩質砂岩)で,大饗石が立地するえび茶色は花崗閃緑岩,久次の立地するピンク色は黒雲母花崗岩である。
図43bに第2版20万分の1地質図の大饗石周辺の部分を示す。前述のようにこの地図が正確な経緯度を反映していないので,大饗石の位置として,図43の位置から推定してプロットした。これによると,大饗石の崩落源としては,Torつまり,流紋岩〜安山岩溶岩,となるが,後に示すように,崩落した岩塊はこの岩相だけに限定されない。つまり,この地質図はかなり粗っぽいものと言えるのである。kmzファイルもすでに供給されているが。
大饗石及びその周辺の岩塊だけを問題にすれば,この場の地質学的意義について述べる意味は全く無いのであるが,敢えて,中江ほか(2022)の「3. 地質 > 3.1 概要」と,この大饗石周辺の地質との関係を示す。「『宮津』地域には,オルドビス紀~ジュラ紀の沈み込みに関連して形成された古期基盤岩類,白亜紀後半~古第三紀前半の弧火成活動によって貰入・噴出した火成岩類,新第三紀の日本海拡大に伴って噴出・堆積した火山岩類・堆積岩類,ならびに第四紀の海成~陸成堆積層が分布する.」とされる。この文中の「白亜紀後半~古第三紀前半の弧火成活動によって貰入・噴出した火成岩類」の古第三紀前半の火成岩類の一つが宮津花崗岩であり,「新第三紀の日本海拡大に伴って噴出・堆積した火山岩類・堆積岩類」の一つが豊岡層にあたるのである。
図43bには図43にあった花崗閃緑岩の名称が消えている。マグマの結晶分化作用での展開を説明するのは図43bの岩石名称が適当なのであろうが,筆者などが現場で認知しうる岩石名は経験的に,花崗閃緑岩が適している。峰山町には幾つかの石材会社が見られ,本ポスティングページの図6,7に見える石垣は,中粒角閃石黒雲母花崗閃緑岩と言って良いのではないか。ルーペでの確認はしていないが。花崗岩か,花崗閃緑岩かの違いは,難しい。https://planet-scope.info/rocks/granodiorite.html によれば,「花崗閃緑岩(かこうせんりょくがん、granodiorite、グラノダイオライト)は深成岩の一種。 花崗岩と閃緑岩のおおよそ中間的な性質を持つことから、この名前が付いている。 花崗岩よりもアルカリ長石(カリ長石)が少なく、斜長石(主に曹長石)が多い。 花崗岩と花崗閃緑岩の違いは無色鉱物(石英、アルカリ長石、斜長石)の含有比の違いで定義されているので、必ずしも「花崗岩よりも有色鉱物が多く、閃緑岩よりも有色鉱物が少ない」と言うことは意味しない。」とあり,筆者は,必ずしもで始まる観点を基準に考えているようだ。
6 大饗石とその周辺の地質 Dec. 2, 2022追記完了
図43c, 43c’は,デイサイトとした。石英と長石の斑晶が目立つ。長石はかなり風化で溶けている印象である。有色鉱物は黒雲母以外は目立たない。この試料は大饗石付近の体積としては大饗石ほどで球に近い岩塊である。このページの第9章でその岩塊のLiDAR測量結果のスクリーンショットを示したい。この試料はかなり風化が進んでいるのであるが,岩塊最上部を岩石ハンマーで繰り返し叩いてやっと得たものである。
無色鉱物は石英(図43c,43c’では透明感が見えない)が目立つ。有色鉱物は無色鉱物の大きな斑晶に挟まれた形で出現している。
この試料(図43d, 43d’)は大饗石周辺の岩塊の3箇所から得たものである。これらもハンマーでの試料収集は簡単ではなかった。図43dの黒っぽいもの(大きいもので径10mm余)は噴出マグマの破片と思われる。久野(1965, 火山砕屑岩の分類)の表2によれば,火山角礫岩 lapilli tuff に分類される。
図43d’は太陽光下で撮影したもので,Adobe Photoshopで彩度を上げて処理した。ガラス質の中に緑色の有色鉱物が認められるが,これは外形からすると輝石が主と思われるが? 太陽光下でのルーペの観察では,キラキラと強く反射して色は見えない。
この試料(図43e,43e’)も大饗石に近い岩塊から採取したものである。当初軽石火山礫凝灰岩と見誤っていたものである。径3mm以下の長石の結晶が卓越する。上掲の久野久(Kuno, Hisashi)の表2の分類では,結晶であっても径4mm以下のものは,凝灰岩とされる。明瞭では無いが,図43eには,右上から左下方向の高角度で,葉理が認められる。
図43e’は太陽光下で撮影したものである。ルーペで観察すると図43e’のように無色鉱物の長石の劈開が明瞭に見える。葉理と並行に見える。
図43f, 43f’は多少緑色っぽくなっている。これも大饗石に近い岩塊から採取したものである。図43f’では,左上から右下への高角度の明瞭な葉理が認められる。図43fでも図43f’と同方向の葉理が認められる。
図43fの照明光があたる面の右下が,図43f’の部位にあたっている。図43fとは異なり,この図43f’は太陽光下で撮影したもので,太陽光が当たっている。
繰り返し述べているが,大饗石についてはハンマーでのカットができない。谷筋側の日が当たらない部分では苔が生えていない部分があり,それを観察した。それが図43gである。図43gは二枚の写真からなり,読者に観察の便を得て頂くべく,その上に,Adobe Illustratorを使って,幾つか赤線を追加した。敢えて,少数の線を入れた。図43gの左図の位置の右手に右図の位置がある。この葉理の分布からすると,大気下での降下堆積物であり,凝灰岩の可能性が高い。大饗石の頂部がほぼ平坦であることからも,この面が明瞭な層理面由来の可能性は高いと思われる。なお,タワシで擦った場所は,図43g左図の曲尺の左手の二本の赤線の左手の薄茶色の部分と右図の中央付近である。岩石鑑定のための効果は全く無かった。
今後,地形の観点での大饗石などの岩塊の崩落を見る必要があるだろう。おそらく5m-meshのDEMが公開されているだろうから,その高度情報を使いつつ,空中写真判読を実施する必要がある。
美々しく伝説に彩られた大饗石の立地についての地形学的研究の意義はどこにあるのか,という疑問が沸々と生じてくる。社会教育での文化的観点からすると悪くは無いとは思う。ぼくのように,図1の写真を見て,人が運んで来たのではないか,という妄想に囚われる者は今後も現れることだろう。で,現場に行ってみたら,大饗石だけがちょこんと孤立してあるのではなくて他の大きな岩塊も多々見える。これまで多くの人が訪れて,あれっ?,って思わなかったのだろうか。不思議なことである。あれっ?,って思った人々が居たのだけど,ブログなどには書かない,書かれてこなかったことは,間違い無いだろう。あれっ?,で終わらないのがまあ,地形学をやってきたぼくの個性になるだろう。このぼくのブログをここで止めてしまうと,ああ,そうなんか,みたいな感想で終わってしまうだろう。科学技術的な観点での追求を示すことで,納得しましたあ,という領域まで人や社会を導くことができるだろう。ということで,この研究?を進めた方が良い,進めなければならない,って心境に達するのである。
7 第2回: GPSによるトラック作成
第1回では迂回しつつ,大饗石に辿り着いて,大饗石のLiDAR測量を実施することができた。この場が神域であることもあり,岩石ハンマーを使うことが憚られて,地形学的研究の観点からすると,かなり中途半端な状況であった。翌日22日はまずは京丹後市立峰山図書館に訪れた。そして,種々の情報を手に入れることができた。
この図書館の公的情報は行政的観点からのものでほぼ皆無という印象である。京丹後市の図書に関する検索歳サイトがあるので,ぼくがコピー頂いた資料を検索した時にヒットするかどうか,後に確かめたいとは思う。訪問してぼくの希望の資料が,大饗石などにあることをご説明した。資料室に陣取ることができて,資料収集にご協力頂いた。感謝している。資料のコピー待ち,も兼ねつつ,再度,大饗石に向かった。
昨日同様,久次区公民館に駐車して,大饗石へ。21日には,アクセスルートをLiDAR測量したいと考えていたが,倒木などが多くて,全くできないことがわかった。山地内でのGPS測量が功を奏さないという経験があるが,前日の大饗石でのGeographicaによるマーカー(地点POI places of interest, ウェイポイントway point)を3回実施して,多少のブレはあるものの再現性があって,使えると考えた。そこで,久次区公民館から大饗石までトラックを記録することにした。GPSやLiDARを使うとバッテリーの減りが大きいので,充電器を持参してきた。帰りには省エネモードでの稼働が要求されて,バッテリーをiPhone 12 Proに接続したが,機能しない。
この原因はmacと充電器を繋ぐことだけができるサードパーティー製のUSBケーブルしかケースに入れてなかったことによる。他の純正ケーブル(20cm long)しか機能しないことは承知していたが,他の作業でついついこの純正ケーブルを使わざるをえず,デスク上に放置したためであった。旅行に出る前に,この純正ケーブルのことを失念してサードパーティー製しか入っていないことを見ていたが,これがiPhone 12 Proとは繋がらないことに老化呆けのために,思いが及ばなかったのである。というわけで機能しないサードパーティー製のケーブルはゴミ箱に投げ捨てて,アップルストアに純正品を注文したのである。
図44は,アップル純正のLightning – USBケーブル(1 m)
2,780円,である。アマゾンで純正ケーブルとして検索しても,純正で無いものが平気で,純正,として販売されている。アマゾンは「純正」をどう定義しているのだろうか。不思議な気持ちである。
貧乏性は結局,損をするなあ。
さて,トラック記録(赤線)をした結果のiPhone 12 Pro上のGeographicaでの画面のスクリーンショットにコメントを付けた図45を次に示す。Geographicaのトラック記録を久次区公民館(図45の右端)からスタートして,久次岳山頂の北東方の谷底の大饗石までトラック記録した筈であったが,iPhone 12 Proの画面を見ると,地形図で描かれた小道末端付近から後のトラックは描かれていなかった。iPhone 12 Proの画面に注意しなかった結果であった。iPhone 12 Proで写真を撮ったりしていると,トラック記録が勝手に止まることがある。大饗石に到着して画面の現在位置がずれていたので,現在地追尾マーク,をタップすると,昨日マークした大饗石に飛んだ。こういうことがあるので,トラック継続中は,iPhone 12 Pro画面で追尾できているかどうか,小忠実に観察する必要がある。困ったものだ。それで帰路で大饗石から地形図描線端まで,トラックを追加することになった。前述のようにバッテリー切れ寸前であったので,神経を使った。
図45を観察すると,公民館から大饗石までのルートは一つの谷線(水色)上に載っていた。このルートは久次川に該当している。久次区は比沼麻奈為神社(元伊勢)の流域もカバーしており,元伊勢と大饗石との繋がりを強く感じるところである。なお,図45のオレンジ色の櫛型の入った崖線で囲まれた範囲は,水系だけでなく,一つの崩壊単位に見える。この観点は,空中写真判読やDEMで確かめなければならないだろう。
トラック沿いの写真(22日撮影)を次に示す。21日のものとダブる物もあるが。図46(14:02),図47(15:55)のように,ゲートは行きも帰りも閉まっていた。ゲートから進んで,図47のように砂防記念碑を左に見て進む。
図49(14:14)では左のメインの道,図50(14:20)では右のメインの道を進む。
図51には図45の「瘦せ尾根上」をマークした北方の尾根を示している。これは図45の櫛型を付けた崖線の北東方向の延長線上に当たっている。図52の地点でもメインの道を進むが,左手の小道は断裂しつつ大饗石の南東方向にある崖線に達することができるのではないかと想像している。
大饗石に近づく過程で倒木が増える。その景観の一部を次の図53〜55に示す。
大饗石に到着したが,その周辺の岩であってもハンマーでカットするのが憚れて,大饗石そばの二つの岩塊の下方を小さくカットした。図56,57にはそのカット面が見える。
8 閑話休題: Hotel Kissuienの高麗猫
Kissuienには20日21日の両日泊まった。到着の日の夜に受け付けカウンターに居た落ち着いた男性スタッフにわざわざ,玄関の猫の高麗犬?の配置が逆になっているのは何故か,と質問。神仏から見て左が上位だから,参拝者から見ると,右手が阿吽の阿,左手が阿吽の吽に配置されるはずなのに,逆に配置されている。
このホテルの理念には,アウンへの拘りが強い。レストランも図60のようなロゴが作成されている。このホテルの理念の説明ページには金比羅神社の猫の阿吽の像の写真が掲載されて説明があるが,何故逆に配置されているかに対する説明が無い。
で翌朝21日,大饗石に向かう前にその猫を見たら,前掲の図58(図59はズームイン)のように,「正常位」に「修正」されていた。ちょっと嬉しかった。そして,なんか,責任を感じた。22日には開館早々,峰山図書館に出かけて資料収集をした。前述のように,大変歓迎していただいて,ぼくの本命の資料収集ではないが,この高麗猫についての資料もあるのか,お尋ねした。そして,それがあった(図62, 63)。
図61のコラム上段第5段落には,「狛猫は阿吽の左右の形を取っているが,一般的に言えば左右の阿吽は逆になっている。一対となるのは一四年後(1846-1832)であるが,左の阿形を基本にして造ったものであろう。」とある。両像の奉納者も石工も異なる。
左の阿像だけで阿吽を表現していたと考えるのが適当かと思う。母猫の右手?(足)が載る子猫が吽形を取っている。後に片割れが無いという誤解のもと,吽形の雄狛猫が作られたのであろう。最初の阿形の雌狛猫の右肩が正面を向いているので,参拝者から見て左に配置されたようである。
誤解の上での現状の高麗猫ではあるが,それも峰山の時間軸に刻まれてきたことであり,それが個性になっている。図60については,洒落好きのデザイナーが高麗猫の異形の配置に合わせて,aunのaを開いた口,nを閉じた口として,さらに猫の両眼を模して,aとnの上にドイツ語のウムラオトのような‥を付けたのであろう。
大饗石の二回目の調査(22日)の後,峰山図書館に戻って頼んでいたコピーを受け取って,午後5時過ぎにHotel Kissuienに立ち寄った。ぼくの意見を受け容れてくださった男性スタッフとお話したかったが,あいにく不在で,落ち着いた女性の方に,コピーを手渡して,ぼく流の説明をした。この方も優しい方で,熱心に聞いて頂いたのである。異形の高麗猫ゆえに歴史的な意味があり,ホテルの高麗猫の左右の配置を元の位置に戻して頂くようお願いした。そして,ぼくのようなお節介が今後も出てくるでしょうから,この資料を渡してください,とお願いしたのである。
9 大饗石LiDAR測量に至る前に
さて,LiDAR測量の結果をここに続けて示そうかと思ったが,CloudCompareの作業が必要になる。このLiDAR測量がiPhone 12 Pro以降であれば,誰でもできることを考えると,CloudCompareの作業についてもその詳細を提示したいと思うので,別途,ポスティングすることにした。ここでは,大饗石の周辺環境を見て頂くために,まずは,ムービーを掲載する。大饗石は南西から北東方向の谷筋の右岸斜面にある。
movie_1はこのサイトの南東斜面で,これから上空から見てまずは時計回りに撮影して,大饗石に達して,北東面から沢筋に至る。このムービの大饗石より早く,図43c, c’のデイサイトからなるおよそ球形の巨岩が見える。そのあとで,古びた注連縄が掛かる大饗石の南東面,北東面,そして沢側の北西面が見える。movie_2はmovie_1の続きである。沢筋付近を撮影している。
このmovie_1によって,大饗石とその周辺の崩落岩のおよその分布を知ることができるであろう。南西ー北東方向の沢筋の南東側の斜面では,creep現象を象徴する水平方向に這う幹群を見ることができる。
このmovie_2の映像は,南西ー北東方向の沢筋にほぼ限定される。沢沿いの壁面や沢底には花崗閃緑岩(黒雲母花崗岩)を見ることができる。
大饗石のLiDAR測量に続く
次の 元伊勢大饗石のLiDAR測量 に続けたいと思う。後には文献学的研究も続く。
以上,Dec. 6, 2022記。