タニハ神饌用炊事場の掃除 Cleaning-up of the kitchen for offering to God
はじめに
図1には玄関に自生するアカマツとコバノミツバツツジとカローラツーリングであり,図2はコバノミツバツツジの花で,枝が三分岐するのが特徴になっている。撮影は4月10日である。
まさに,里山の植生が現出している。
図3と図4いずれも4月14日撮影のものである。図3から,コバノミツバツツジの名称が理解できる。この小葉は,夏みかんの皮肌のように,組織が小さく分割されている。
図3と図4はいずれもレベル補正によって強調されており,裸眼では注意しないとこの構造を見ることはできない。比較的,図4のように裏面が観察しやすいように感じる。Apr. 14, 2021記
神饌用炊事場付近の掃除
神殿横の神饌用炊事場の掃除は50年間一度もされなかったであろう。道具はただただ玄関まで溢れていた。フィールドワークの前後で考えると一月を隔てて漸く,昨日完成した。窯場からの陶磁器が結構あったが,試し焼きのものが積み上げられてもいた。今後使わないものは全部廃棄した。
図3は,亀岡市横町一番地の時代の神棚の上部である。下部の収納箱は箕面クリーンセンターで処分すべく,今は車中にある。カンナで削ったら板目の部分で深掘りしてしまい,電動サンダーを購入して削り直した。上段の木箱には火打ち石を収めている。この棚はカビも加勢したか真っ黒であったが,甦った。ベニアではこうは再生しない。下部を占めていた収納箱は,神饌用の炊事場を片付けたので,不要となった。
電話がどこでも取れるようにと,電話線が縦横に走っていた。電話線収納ケースを外しても,ヘラやサンダーなどを使ったが,その糊が剥がれない。Locktiteの「シールはがし」を使って言わば浮かせて?,ヘラを主に使って剥がした。最初はシールはがし無しで2時間近く格闘したが不可能だった。
図5の左端近くの写真は王仁三郎の等身大のものである。廊下そして玄関にまで広がっていた道具などもこの神饌用炊事場の棚に収めることができた。これまでは,皿類は神殿下の収納箱に入れて,お宮の前に置く三宝や陶器類はこの炊事場に置いてきた。お宮それぞれの陶器は,未分類で置いてきたが,図6のように,分類して配置することができた。
タニハには,お宮が6宮ある。神殿は広い中央枠,比較的小さな枠がその左右に。中央には,向かって右から,開祖,大天主太神,聖師,そして小幡神社の産土神である開化天皇である。順位としては,大天主太神,開祖,聖師,産土神である。祝詞奏上の神号奉称の際には,大天主太神(おほもとすめおほみかみ),惟神真道弥広大出口国直霊主命(かむながらまみちいやひろおほいつきくになほひぬしのみこと),瑞霊大神(みづみたまのおほかみ),産土大神(うぶすなのおほかみ)を,神号に「守りたまへ幸はへたまへ」を加えて,二回ずつ称える。器には墨またはマジックインクで,それぞれ,大大(大天主),大(天主),主神,小,とある。神殿の右枠には祓戸四柱神,左枠には木庭次守をお祀りしている。父の生前中,左枠は物置になっていた。その付近の廊下に木庭次守のお宮を置いていたが,ぼく元晴が皆さんにお願いし,左枠にお宮を配置させていただいた。木庭の祖霊宮では無い。
父の生前中,中央のお宮は産土さんを入れて3宮であったが,三代教主昇天に合わせて?というか,四宮になったように思う。タニハの賛同者の皆さんはその意味を聞いておられたかも知れない。聖師によれば,「惟神真道弥広大出口国直霊主命」は,開祖の神名とされているが,父に別の機会に尋ねた折りには,少し考えて三代教主もそのなかに入ると答えたと思う。「惟神真道弥広大出口国直霊主命」は,開祖以来の教主の集合的表現なのであろう。
なお,図7では,左枠内には祓戸四柱が祀られ,木庭次守のお宮は外に配置されている。
おわりに
父昇天の後,隅田光氏と山崎由美子さんが中心になって,十五年間,お祭りが年に数回,挙行された。ぼくはお客さん的立場と勝手に感じていて,カワラケに大天主とか主神とか書かれていることに疑問を持ち,皆さんに尋ねたこともあったが,納得行く回答は得られなかった。父の文献を読む中で,お宮の意味が自然とわかるようになった。
以上,Apr. 11, 2021記